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戦国時代の武将 ウィキペディアから
八代 道慶(やしろ どうけい / みちよし)は、戦国時代の武将。
八代氏は采地を持つ播磨国飾東郡八代村[2]を本拠としていた。赤松氏を再興した赤松政則が、文明元年(1469年)置塩城を築き移ったので、八代氏も置塩[3]の赤松氏に仕えた。道慶の父・八代藤三郎道嵩は、置塩下町に居住し、八代村に2百貫の采地を有した。
八代道嵩の子として誕生した。赤松氏の家臣であった小寺則職に附従して、天正年中、八代村萱原に居を構え、八代村に采地4百貫をもった。
享禄4年(1531年)から天文14年(1545年)、小寺則職が御着城に移ったのに伴い、道慶は黒田職隆の下で姫路城留守居役を務めた。天文22年(1553年)、道慶は剃髪して号を道慶(どうけい)とし、山井村(姫路市山野井町)に法恩寺を開基する。
永禄7年(1564年)(または永禄9年(1566年)とする)、道慶は室山城で浦上清宗の婚礼に同席した際、赤松政秀の襲撃を受けて左目を射られて負傷した。それを引き抜いて奮戦したが、この傷が元で後に没した[1]。
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