伴河男
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経歴
仁寿4年(854年)従五位下に叙爵し、周防守に任ぜられるが、同年2月には鋳銭長官を兼ねた。
貞観3年(861年)下野介に任ぜられ、貞観5年(863年)従五位上・下野守に叙任される。しかし、貞観8年(866年)4月に応天門の変が発生すると、9月22日に首謀者とされた兄の善男や甥の中庸に連坐して能登国に流罪となった。
官歴
『六国史』の記載に従う。
参考文献
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