幕末から明治にかけての儒学者 ウィキペディアから
伊藤 蘭林(いとう らんりん、1815年10月30日〈文化12年9月28日〉 - 1895年〈明治28年〉3月14日)は、幕末から明治にかけての儒学者。名は徳裕。字は益卿[1]。
高知藩家老深尾家の家臣、伊藤徳正の子として上郷に生まれる[1][2]。広井遊冥(ゆうめい)に師事[1]。
学問に優れて天文・暦算に通じ、書・武術にもすぐれた[1][2]。専門は漢文・詩文・和歌・算術・測量・茶道・挿花・剣術・槍術・弓術・馬術など多岐にわたった[3]。あらゆる分野に精通したことから「万能の学者」とも評された[3]。
家塾でおしえ、深尾氏につかえて明治のはじめに自らも学んだ名教館教授[1][3](名教館は深尾家の家塾[4])。田中光顕はじめ、佐川郷内から輩出した志士は皆蘭林の門下である[1][2]。また、植物学者の牧野富太郎も蘭林の塾で漢学を学んだ[4][5]。1,000人を超えたと言われる教え子の中には、田中や牧野の他にも土木工学者の広井勇がいる[3]。
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