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日本の海洋冒険家 ウィキペディアから
鹿児島県日置郡吹上町に生まれた[1]。10歳のとき、小学校の教師をしていた父が死去する[要出典]。
鹿児島市立紫原中学校時代、R・L・グレアムの航海記『ダブ号の冒険』を読み、ヨットに関心を持つ[1]。1980年、鹿児島県立錦江湾高校に入学し、ヨット部に所属[1]。1981年から1987年にかけて、国民体育大会のヨット競技に7年連続出場、高校総体で3位に入賞[1]。高校卒業後、鹿児島市役所に就職し、ヨット部に所属[1]。1987年、市役所を退職。
1988年、ヨット「海連垂乳根」で日本人女性として初めて、太平洋単独往復に成功した[1]。1991年、オーストラリアから日本までの太平洋縦断レースで準優勝した[要出典]。同年10月12日、日本人初の東回りでの単独無寄港世界一周に挑戦するため、ヨット「海連[注釈 1]」で鹿児島を出航[2]、翌1992年7月5日に帰還して成功した[2][注釈 2]。堀江謙一に次ぐ日本人2人目、かつ女性では初めての達成だった[2]。なお、鹿児島に帰港する直前、「合同記者会見以外のインタビュー、出演、撮影などを有料とする[注釈 3]」と発表し、地元報道機関の間に波紋を広げた[3]。対応は各社で分かれた[4]。
1994年、環太平洋レースCクラスに出場した[要出典]。1997年、国際帆船レースに出場した[要出典]。
2024年6月17日、単独無寄港世界一周航海に用いたヨットが第8回ふね遺産(日本船舶海洋工学会)に認定された[5]。
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