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それまでの活動によって国際的な名声を得ることに成功したシベリウスではあったが、享楽的な生活によって健康を害し、家計をも逼迫させ、創作活動にも支障を来すようになっていた。そこで彼は1904年に都会の喧噪を離れ、ヘルシンキ北東郊外のヤルヴェンパーへ引っ越すことにした。豊かな自然に囲まれて創作意欲を取り戻した彼は、1907年3月にロンドンのロイヤル・フィルハーモニー協会で初演するための新作交響曲に着手した。しかし各地からの指揮の依頼や、期限付きの作曲依頼などをこなさなければならず、交響曲の筆はたびたび中断を余儀なくされ遅々として進まなかった。結局、当初の目標であった1907年3月の初演には間に合わず、完成したのはほぼ半年後の1907年秋であった。別名「アイノラ」とも呼ばれるこの曲の第3楽章は”con energia"の指示から力強い蒸気機関車のイメージがある。
1907年9月25日、ヘルシンキでの「作曲家の肖像画」コンサートにて作曲者自身の指揮で行われた。
1907年、リーナウ社(ベルリン)
最初の録音は1932年6月にロンドンでロベルト・カヤヌスによって行われた
この作品では、シベリウス初期作品の後期ロマン派風の壮麗な作風がなりをひそめ、後期作品に通ずるような純朴で密度の高い作風に移行しつつある。しかし後期作品の息詰まるような緊張感はまだなく、軽快で伸びやかな作品となっている。シベリウスの前期と後期とを分ける分水嶺となる重要な作品である。それは形式にも表れている。この作品は3つの楽章からなるが、終楽章はスケルツォ的な部分とフィーナーレ的な部分から構成されている。交響曲第2番では第3楽章から第4楽章に休みなく移行する手法が採られており、この手法がさらに追求された結果一つの楽章に統合されたという過程がよくわかる。同様の手法は交響曲第5番の第1楽章でも使用され、交響曲第7番ではついに全曲を単一楽章に統合することになる。
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