Remove ads
1876-1961, 明治時代の口絵画家、大正時代の版画家 ウィキペディアから
井川 洗厓(いがわ せんがい、1876年5月1日‐1961年10月13日)は明治時代の口絵画家、大正時代の版画家。本名:井川 常三郎。
稲野年恒及び富岡永洗の門人。本名は井川常三郎。1876年5月1日、岐阜県に生まれる。始め大阪に出て稲野年恒に師事した後、東京へ出て永洗に就き、師とともに『都新聞』に挿絵を描いているほか、多くの木版口絵を手がけている。その後、太平洋画会に入会、卒業する。太平洋画会で勉強したため、洋画を下敷きにした確かな描線で描く洗厓の美人画は、師永洗のものより愛らしく小型で、その雰囲気からいえば鏑木清方の描く美人画に似通うものがあった。大正期には新版画『新浮世絵美人合 八月 月』を村上という版元から出版している。洗厓は、作家に大衆作家というものがあるように挿絵画家も大衆芸術家である。特に挿絵家は色気を失っては駄目である。その色気というのは絵の上の色気即ち艶であると述べている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.