五島盛佳
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五島 盛佳(ごとう もりよし)は、肥前国福江藩6代藩主。五島家26代当主である。
貞享4年(1687年)9月2日、第5代藩主・五島盛暢の長男として生まれる。元禄4年(1691年)に父が死去したため、家督を継いだ。しかし5歳の幼少のため、叔父の五島盛延(旗本久松松平家に養子に入っていた)が後見人となった。
人事の一新、家臣救済のために借金返済の凍結、元禄11年(1698年)には新田開発を行い、新田からは3年間の年貢免除を行うなど改革を進めたが、元禄14年(1701年)には凶作となり、元禄15年(1702年)には捕鯨業も不振であり、次第に財政難が表面化してゆく。なお、この年の9月18日に元服した。
宝永7年(1710年)には材木の輸出を行い、商人に対して財政援助の融資を求めるなどしたが、ほとんど効果はなかった。享保6年(1721年)には領内の労働人口を把握して確保するため、「人付け改め」と呼ばれる徹底した人身把握政策を開始し、各世帯の家族数・年齢・世帯主との続柄・出自・身分を細かく人付帳に記載した。
享保13年(1728年)8月11日、家督を長男・盛道に譲って隠居する。享保19年(1734年)8月6日に死去した。享年48。
父母
正室
側室
子女
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