二条正麿

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二条正麿

二条 正麿(二條、にじょう おさまろ、1872年2月17日(明治5年1月9日[1])- 1929年昭和4年)2月18日[1][2])は、明治から昭和期の政治家華族貴族院男爵議員

概要 生年月日, 没年月日 ...
二条正麿
にじょう おさまろ
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生年月日 1872年2月17日
没年月日 (1929-02-18) 1929年2月18日(57歳没)
出身校 東京帝国大学大学院修了
東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業
前職 東京区裁判所検事代理
所属政党 公正会
称号 旭日中綬章
正四位
親族 義父・酒井忠道(貴族院議員)
弟・四条隆英(貴族院議員)
義弟・酒井忠克(貴族院議員)
義弟・山階芳麿(貴族院議員)

在任期間 1905年3月11日 - 1929年2月18日
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経歴

二条家当主・二条斉敬の四男として生まれる[1][3][4]1902年(明治35年)12月5日、分家して男爵を叙爵した[1][3][4][5][6]

学習院高等科を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し[3][4][7]、さらに同大学院で行政法を研究して修了した[2][3]1904年(明治37年)司法官試補となり、東京区裁判所検事代理を務めた[2]

1905年(明治38年)3月、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[5][8]、同月11日に就任し[9]公正会に所属して活動し[2]、死去するまで4期在任した[2][10]。その他、狩猟調査会委員、寺院境内地譲与審査会委員などを務めた[2]

栄典

位階
勲章

親族

脚注

参考文献

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