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九夷
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倭人
513年)によって書かれた『宋書』列伝第五十七「
夷
蛮」には、林邑国・扶南国・師子国・天竺・高句驪国・百済国・倭国・荊雍州蛮・豫州蛮と、倭国伝があり、倭の五王について書かれている。 656年(顕慶元年)に完成した『隋書』東夷伝には「
九夷
所居、與中夏懸隔、然天性柔順」(倭は
九夷
の居るとこである。……その天性は柔順である。)とあり、同『隋書』倭国伝には
徐 (春秋)
『後漢書』東夷伝に「管、蔡は周に畔き、すなわち夷狄を招き誘う。周公これを征し、遂に東夷定まる。康王の時、粛慎また至る。後に徐
夷
、僭号し、すなわち
九夷
を率いて以て宗周を伐ち、西して河の上に至る。穆王、そのまさに熾んなるを畏れ、すなわち東方諸侯を分かち、徐偃王に命じてこれを主せしむ」とある
井上秀雄
は文字通り「海にある」という意味であり、前文では、孔子は道が行われないと嘆き、桴に乗り、渡海して
九夷
へ行こうとする。後文では「楽浪海中に倭人有り」となるが、前後関係は相呼応しており、孔子が行こうとした
九夷
が楽浪海中にある倭人のところを暗示している、と指摘している。沈仁安は、「広義の倭人論」を「倭・倭
倭・倭人関連の中国文献
『漢書』地理志燕地条 然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居
九夷
、有以也夫! 樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云。 然して東夷は天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、設(も)し海に浮かばば、
九夷
に居らんと欲す。それ、以(ゆゑ)有るかな! 楽浪海中に倭人有り、 分れて百余国を為し、
東夷
東夷」の人、周の文王は「西夷」の人であると述べている。 後漢書東夷伝によると 江蘇省・山東省付近(太字は
九夷
) 畎
夷
・於
夷
・方
夷
・黄
夷
・白
夷
・赤
夷
・玄
夷
・風
夷
・陽
夷
・嵎
夷
・藍
夷
・徐
夷
・淮
夷
・泗
夷
中国東北部・朝鮮半島・日本列島 夫餘国・高句麗・東沃沮・北沃沮・粛慎氏(挹婁)・濊・韓(三韓)・倭人(