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江戸時代中期から後期にかけての大坂の浮世絵師 ウィキペディアから
丹羽 桃渓(にわ とうけい、宝暦10年〈1760年〉 - 文政5年10月15日〈1822年11月28日〉)とは、江戸時代中期から後期にかけての大坂の浮世絵師。
蔀関月の門人。名は元国。通称は大黒屋喜兵衛。字は伯照。靖中庵、桃渓、桃渓山人と号す。鉄格子波丸の門人で狂歌もよくし、狂歌名を遅道といった。
大坂の人で、島の内木挽町北之町に住んでいた。蔀関月に絵を学び、天明(1781年-1789年)末期から文政(1818年-1830年)にかけて風景画や花鳥画をよくし、絵本や狂歌本、読本、滑稽本、名所図会、絵手本、節用集、重宝記などの挿絵を多く描いた。主要な作品として天明6年(1786年)刊行の滑稽本『つべこべ草』(田宮橘庵作)五巻5冊、寛政10年(1798年)刊行の『紙漉重宝記』(国東治兵衛作)一冊、寛政12年(1800年)から文化元年(1804年)刊行の絵本『絵本拾遺信長記』前編十三編後編十編、寛政12年(1800年)刊行の『怪談弁妄録』五巻5冊、文化期刊行の鉱業書『皷銅(こどう)図録』(増田綱撰)一冊、享和元年(1801年)刊行の『河内国名所図会』(秋里籬島作)、文政3年(1820年)刊行の絵入狂歌本『狂歌友の文庫』(六樹園・三日坊雛丸編)三巻の挿絵などがあげられ、『摂津名所図会』九巻12冊の挿絵は見事なものであり、また『紙漉重宝記』は当時の石見国における紙漉、製紙の様子を良く捉えている。その他に浄土真宗に関する『阿弥陀経随聞記』一冊、文化9年(1812年)には真言宗に関する『毘沙門天王霊験記』(恭道編)五巻5冊などといった宗教書も手掛けている。
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