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兵庫県にて生まれた。松竹シナリオ研究所にて脚本を学ぶ。同期の一色伸幸らから「天才少女」と評されるほどの腕前だったが、あるときから突然、研究所に顔を出さなくなる[1]。
その後、徳間書店に勤務し、鈴木敏夫の下で『アニメージュ』の編集に携わるなど、編集者として活動することとなる[1]。編集者としては、碧野圭らの作品を手がけている[2]。
スタジオジブリに移った鈴木敏夫の依頼で、ジブリ制作のアニメーション作品にもスタッフとしてかかわるようになる。1993年に日本テレビで放送されたアニメ特番『海がきこえる』の脚本を「中村香」名義で手がけた[3][4]。
2006年に公開されたスタジオジブリの映画『ゲド戦記』では、監督の宮崎吾朗と脚本を担当した。2010年に公開されたスタジオジブリの映画『借りぐらしのアリエッティ』(監督は米林宏昌)では、企画を兼ねていた宮崎駿と共同で脚本を担当。駿が口頭で語るさまざまなアイディアを丹羽が文章にまとめることでシナリオを構築していったという。吾朗が監督した2011年の『コクリコ坂から』にて、再び駿と共同で脚本を担当した[5]。
2014年、スタジオジブリの映画『思い出のマーニー』では、監督の米林宏昌と作画監督の安藤雅司との共同執筆で脚本を担当[6]。
2019年12月6日(金)、新橋演舞場で上演された新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』の脚本を執筆、第48回令和元年度「大谷竹次郎賞」を受賞した[7]。
宮崎駿・吾朗父子の双方と脚本を共同執筆した経験を持つ。
徳間書店での上司にあたる鈴木敏夫は、丹羽について「何を考えているんだか、よく分からない、いつも、ぼ〜っとしている」と評しているが、その筆力については高く評価している[1]。また、松竹シナリオ研究所の同期生である一色伸幸は、同期の中で丹羽が最もうまかったと指摘している[1]。ただ、丹羽は突然松竹シナリオ研究所に来なくなってしまったため、後年、徳間書店を訪れた一色は丹羽を見つけてひどく驚いたという[1]。
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