中村登一
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中村 登一(なかむら とういち、1915年(大正4年)12月25日 - 1969年(昭和44年)6月28日)は、日本の建築指導者、建築家で、戦後の日本建築界を席捲した民主化運動の中心的存在。日本初の分譲マンション「九段コーポラス」を設計し、艮衆のための住宅設計に力を注いだ。東京本所生まれ。
1938年、東京美術学校建築科卒業。東京市役所建築部に就職。12月兵役によって満州に渡る。 1944年、陸軍建築研究所勤務。
1945年、吉田五十八建築研究所員。東京美術学校専任講師。 1947年、新日本建築家集団(NAU)の結成に参加。 1949年、東京芸術大学文部教官。 1950年、東京芸術大学を辞任、匠建築研究所所長となる。 1952年、中村建築研究所設立。 1958年、全日本建築士会結成に参加。翌年、全日本建築士会副会長。 1961年、ソビエト連邦などの建築を視察。
主要建築作品に、 日赤子供の家(1948年)、箱根小涌谷駅(1951年)、料亭阿家(1951年)、箱根町役場(1954年)、自邸(実験住宅、1957年)、料亭川甚旧館(1958年)、九段コーポラス(1959年)、日本信販本杜ビル(1964年)、母子休養ホーム(1967年)、都立大学目黒校舎(1967年)、横浜センタービル(1967年)など。
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