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文化人類学者 ウィキペディアから
中村 光男(なかむら みつお、1933年10月19日 - )は、日本の文化人類学者、千葉大学名誉教授。東南アジアのイスラーム、特にインドネシアのイスラーム社会運動の研究者として国際的にも著名。
旧関東州大連市生まれ。父中村繁次は満州電業技師、のち北満支社長、戦犯としてソ連に抑留、20年の重労働刑、1955年帰国後、キリスト教牧師となる。家族は敗戦後1947年まで、中国東北部長春市で過ごした。1947年8月東京に引き揚げ[1]。
1949年東京都立国立中学校卒業、1952年東京都立新宿高等学校卒業を経て、同年、東京大学入学。中学・高校時代より、青年共産同盟(青共)に加入、わだつみ会、反戦学生同盟で活動。1953年東京大学教養学部自治会副委員長。1955年以降、日本共産党六全協後の沈滞した学生運動の再建に努力[2]。1956年、全学連中央執行委員、1956-1958年 日本反戦学生同盟(AG=アー・ジェー)を再建、全国委員長。1958年反戦学同を社会主義学生同盟(社学同)に発展的解消、初代委員長となる。同年末共産主義者同盟(ブント)創立に参加、1960年安保闘争の後まで、新左翼運動の活動家として活躍した[3]。
1960年、東京大学文学部哲学科卒業後、文化人類学に専攻を転じ、1965年、東京大学大学院より修士号取得、同年フルブライト奨学生として、アメリカ・コーネル大学に留学。インドネシアのイスラーム近代主義運動「ムハマデイヤー」に関する現地調査(1970−1972年)に基づき博士論文作成、1976年、コーネル大学からPh.Dを取得[4]。
南オーストラリア・アデレード大学人類学部シニア・ティーチング・フェロー(1974-1975年)を経て、ジャカルタのインドネシア社会科学研修センターのリサーチ・アソシエイト(1976−1977年)、オーストラリア国立大学アジア太平洋研究所客員研究員(1978−1981年)、ハーヴァード大学世界宗教研究所客員研究員(1981-1982年)、オーストラリア国立大学アジア研究学部客員研究員(1982年)を務め、1983年より千葉大学文学部行動科学科教授、1993年ハーヴァード大学中東研究センター客員研究員(フルブライト・シニアフェロー)[4]。
1999年、千葉大学を定年退職。同大学名誉教授となる。2001年中央大学総合政策研究大学院客員教授。2004年、ハーヴァード大学中東研究センター客員研究員。
『東南アジアを知る事典』(平凡社1988)、『インドネシアを知る事典』(同朋舎1991)、『戦後史大事典』(三省堂1991)、『国際教育事典』(アルク1991)、『大衆文化事典』(弘文堂1991)、『事典イスラームの都市性』(亜紀書房1992)、『文化人類学事典』(弘文堂1994)、『世界民族事典』(平凡社1995)、『世界文学事典』(集英社1998)、『岩波イスラーム辞典』(岩波書店2002)、The Oxford Encyclopedia of Modern Islamic World (Oxford University Press 1995)、The Encyclopedia of Islam (Brill 2014)。
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