下間頼俊
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下間 頼俊(しもつま らいしゅん)は、日本の戦国時代の武将。
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事跡
父・下間頼照が越前の支配者となると、頼俊は足羽郡司となった。
足羽郡統治と一揆内一揆の鎮圧
しかし、一揆勢は、一揆が切り取った国を本願寺派遣の「上方ノ衆」がもっぱら支配することに不満をもち、十七講(および鑓講)の人々のあいだには大坊主討つべしの声が高まっていた。 下間頼俊が統治する足羽郡でも、足羽郡東郷安原村の鑓講の人々が蜂起し、深雪の中を足羽郡司下間和泉守(頼俊)を討つべく進撃したが、下間頼俊みずからこれを討伐している。
頼俊の最期
天正3年(1575年)夏、織田の勢力が越前に進攻すると、下間頼俊は、父・下間頼照とともに討ち取られた。
脚注
参考文献
関連項目
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