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中国共産党の内部、元総書記の江沢民はじめとする派閥 ウィキペディアから
六四天安門事件後、江沢民が総書記に就任した理由のひとつに中央におけるしがらみのなさがあった。しかし、中央入り後、地盤を持たない江沢民は保革の間を文字通り右顧左眄する事態におちいり、徐々に上海時代の部下を中央入りさせたとみられる。
構成員は
の2つに分かれ、前者は呉邦国、曽慶紅、黄菊、陳至立、陳良宇が、後者は賈慶林、李長春、呉官正、劉淇、曾培炎、張徳江、周永康、劉雲山、回良玉、韓正、華建敏らと推測される。なお、江沢民が上海市党委書記時代に市長だった朱鎔基は中央入り要請を何度か固辞しており、また、副総理、総理時代も一枚岩とはいえなかったため上海幇には数えないのが一般的。
そのなかで、曽慶紅は天安門事件直後に中央弁公庁副主任に就任させ、右腕として政敵の露払いをさせ、江沢民の地位を確固なものにさせた。第14期(1992年-1997年)には中央委員候補に過ぎなかったが、中央弁公庁主任に就任した第15期(1997年-2002年)は政治局委員候補、江沢民が引退した第16期(2002年-2007年)には政治局常務委員と、猛スピードで出世していった。
ただし、上海幇は思想的な集団ではなく、1990年代以降の改革開放で恩恵を受けた既得権益層に過ぎず、便宜上、上海幇とされていた者も多く、江沢民引退後は構成員の多くが胡錦濤派に「寝返り」、徐々に縮小、2006年9月に陳良宇が失脚したことで命運が決まった。特に、曽慶紅は自身を中央軍事委員会にねじ込めなかった江沢民を見限り、江沢民の政敵で前任の総書記であった趙紫陽の臨終にも駆けつけた。また、みずから派閥を形成して現在も影響力を保持している。
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