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宗教 ウィキペディアから
ブードゥー教(ブードゥーきょう、仏: Vaudou、ハイチ語: Vodou)は、アフリカ大陸のベナン共和国やメキシコ湾にあるハイチ共和国やアメリカ南部のニューオーリンズなどで信仰されている民間信仰。
「ブードゥー(あるいは「ヴードゥー」)」という呼び方は英語で、ハイチや西アフリカではヴォドゥン(Vodun)と呼び習わされている。ヴォドゥンとは西アフリカのフォン語(Fon)で「精霊」の意味[1]。ヴォドゥンはベナンなどの西アフリカで広く信じられており、ベナンの国教となっている。キューバのサンテリアやブラジルのカンドンブレ、マクンバといった民間信仰・呪術である。近年はカリブから欧米への移民が相次ぎ、欧米各国でも移民の一世、二世らによって信仰されている。
教義や教典、宗教法人として認可された教団は皆無で、布教活動もしない。その儀式は太鼓を使ったダンスや歌、動物の生贄、神が乗り移る「神懸かり」などからなる。指導者としてブードゥーを取り仕切る神官は「ウンガン」もしくは「オウンガン」(フォン語: hùn gan、英語: Houngan)と呼ばれる。
ブードゥー、サンテリア、カンドンブレ、アフリカの類似した民間信仰も含めた信者の数は、全世界で5千万人にも上るといわれ、チベット仏教の3千万人を遙かにしのぐ数とされる[2][3]。
ブードゥーは植民地時代の奴隷貿易でカリブ海地域へ強制連行されたダホメ王国(現在のベナン)のフォン人の間における伝承・信仰がキリスト教(カトリック)と習合した事によって成立したため、ブードゥーの中には聖母マリアなどキリスト教の聖人も登場する(イエスはあまり登場しない)。ただし、あくまでも白人による弾圧を逃れるために、アフリカの民間信仰の文脈の中へ表面上キリスト教の聖人崇敬が組み込まれただけなので、信仰の主意はアフリカ時代とほとんど変わらず、厳密にはアイルランド起源のドルイド教の影響も大きく、後述するバロン・サムディという神格やフェッテ・ゲデという行事などドルイド教の影響もある。
ブードゥーの基礎はハイチで発展した。ハイチで奴隷化されたフォン人たちはマルーン(逃亡奴隷)となって山間に潜み、逃亡奴隷たちの指導者フランソワ・マッカンダルがブードゥーを発展させた。一方、カトリック教会は植民地時代からブードゥーを「奴隷の邪教」として徹底弾圧し続けた。伝道者の逃亡奴隷マッカンダルも火焙りにされている。20世紀に入ってもブードゥーは非合法化されたままで、信者やオウンガン(神官)は逮捕・投獄された。やがてブードゥー教徒たちは「キリスト教を隠れ蓑にして白人の目をごまかす(土着キリスト教)」という手段によって、この弾圧を逃れることとなった。これは、ブードゥーのオウンガン(神官)の夢に「霊」となって現れたマッカンダルのお告げによると伝えられている。
その後、奴隷解放による農民の土地所有により、土地と結びついた祖先崇拝色を獲得したり、コンゴやインド、中国などからの低賃金労働者の移入により、さらなる信仰の混合が進んだりと、その成立・発展は複雑である。現在ではブードゥーをはじめ、サンテリアやカンドンブレなど「ブラック・マジック」と称される信仰は、主にラテンアメリカに広まっている。他方、キリスト教の異端化に神経質なアングロサクソンが主体であるアメリカでは、キリスト教の土着化はさほど進まなかった。ただし黒人の比率が高いジャマイカではアフロ・クリスチャン教会(ポコメニア)とよばれる土着化したプロテスタント教会が一般的である。
20世紀の初頭にハイチを占領したアメリカは、ハリウッド映画などでゾンビを面白おかしく題材にし、ブードゥーのイメージダウンを行った。1957年にハイチの大統領となった独裁者フランソワ・デュヴァリエは自ら「サムディ男爵 (Baron Samedi) に扮し、ブードゥーの呪術を背景にハイチで恐怖政治を行った[4][5][6]。その後、民衆蜂起によってデュヴァリエ親子の支配が終わり、1987年、憲法により信仰の自由が初めて認められることとなった[7]。
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