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ヴェロニカ・“ロニー”・スティーヴンス(Veronica "Ronnie" Stevens、女性、1973年7月19日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。主なリングネームは、シンプリー・ルーシャス(Simply Luscious)。
ヴェロニカ・スティーヴンス | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ロニー・スティーヴンス ミス・スティーブンス ナース・ヴェロニカ ヴェロニカ・シンプリー シンプリー・ルーシャス |
身長 | 165cm |
体重 | 59kg |
誕生日 | 1973年7月19日(51歳) |
出身地 | アメリカ合衆国・テキサス州サンアントニオ |
スポーツ歴 | 空手 |
トレーナー |
ショーン・マイケルズ ルディ・ボーイ・ゴンザレス ドリー・ファンク・ジュニア |
デビュー | 2000年 |
プロレス入りする前は空手とバレエを身につけ、ショーン・マイケルズのテキサスレスリングアカデミー(TWA)でトレーニングを積み、地元サンアントニオで「シンプリー・ルーシャス」としてデビュー。短期間ではあるがWCWに参戦していた。
2003年よりTNAに参戦を開始し、ノックアウト(女子部門)にて「ビッチスラップ」のリーダーとなる。TNAでのリングネームは「ナース・ヴェロニカ(Nurse Veronica)」と名づけられた[1]。しかし当時TNAは女子選手が少ないためビッチスラップはストーリーに行き詰まり[2]、ヴェロニカはTNAと2年契約を拒絶[3]。
2004年以降、インディ団体を転戦。同年2月14日、坂井澄江を下しUSAプロ女子王座奪取。CMLLにも参戦し、ZERO-ONEに悪徳レフェリー“ミス・スティーブンス”として来日した。
2006年、TWAに復帰。WWEトライアウトにも挑戦したが不合格だった。同年、SUNに「ヴェロニカ・シンプリー」として来日。前村さきと一騎討ちを行う。
2011年4月3日、ユニオンプロレスに来日し、木高イサミ&矢野ケイタのマネージャー「ヴェロニカ」として参戦した。7月に今度は留学生として参戦。
6月にはREINA女子プロレスにシンプリー・ルーシャスとして参戦。上林愛貴が持つTLW女子インターナショナル王座に挑戦も奪取ならず[4]。
AWA軍団の刺客、女性レフェリーのミス・スティーブンスとして初来日。2004年12月18日、千葉公園体育館でのスティーブ・コリノ&マット・ストライカー組vs田中将斗&葛西純組で初レフェリング[5]。同年12月22日、後楽園ホール大会ではメインイベントのスティーブ・コリノvs大谷晋二郎戦を裁いた[6]。へそ出し、ホットパンツのレフェリー着を着用。AWAサイドびいきのレフェリングで自称Fカップの巨乳によるパフパフ攻撃などで試合に介入。後楽園大会ではコーナートップからのミサイルキックも繰り出した[6]。「あれがレフェリーの格好か? 試合に集中できんわ」(田中)「観客が支持するなら、それはそれでいいのかもしれねえけど、あんなんで負けたらたまらん」(大谷)と賛否の声を呼んだ。
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