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ジャクソンズのスタジオ盤 ウィキペディアから
『ヴィクトリー[11]』(Victory)は、アメリカ合衆国の兄弟ボーカル・グループ、ジャクソンズが1984年に発表したスタジオ・アルバム。「ジャクソン5」から「ジャクソンズ」へ改名してからのスタジオ・アルバムとしては5作目に当たる。
『ヴィクトリー』 | ||||
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ジャクソンズ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1982年 - 1984年 | |||
ジャンル | ソウル、ファンク、ポップス、ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | エピック・レコード | |||
プロデュース | マイケル・ジャクソン、ジャッキー・ジャクソン、デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ、ティト・ジャクソン、マーロン・ジャクソン、ランディ・ジャクソン、ジャクソンズ | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
ゴールドディスク | ||||
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ジャクソンズ アルバム 年表 | ||||
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『ヴィクトリー』収録のシングル | ||||
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1975年にジャクソン5から離脱していたジャーメイン・ジャクソンが合流し、ジャクソンズが6人編成となった状態でレコーディングされた。マイケル・ウェランの手によるアルバム・ジャケットも、6人の姿を描いたものになっている。ただし、「ノット・オールウェイズ」はマイケル・ジャクソンが単独で歌った曲で、この曲および「ステイト・オブ・ショック」「ウィ・キャン・チェンジ・ザ・ワールド(輝く世界)」「ボディ」にはジャーメインは参加していない[12]。
「ウェイト」と「ザ・ハート」には、TOTOのデヴィッド・ペイチとスティーヴ・ポーカロがプロデュースと演奏で参加しており、同じくTOTOのメンバーであるスティーヴ・ルカサーとジェフ・ポーカロも、本アルバムのレコーディングに参加した[12]。
本作のレコーディング中にはマイケル・ジャクソンとフレディ・マーキュリーの共演も計画され、1983年には「ステイト・オブ・ショック」、両名の共作である「Victory」、マーキュリー作の「There Must Be More to Life Than This」がレコーディングされるが、それらは未発表となった[13][14]。本作にはマーキュリーの代わりにミック・ジャガーが参加したヴァージョンの「ステイト・オブ・ショック」が収録され、また、「There Must Be More to Life Than This」は、マーキュリーのソロ・アルバム『Mr.バッド・ガイ』(1985年)に別ヴァージョンが収録された[13][14]。なお、本作のリリース前には、マーキュリーが参加した「Victory」が本作のタイトル曲になるという噂も流れていた[15]。
本作のリリースは1984年2月の予定と報じられ、5月にはコンサート・ツアーも開始される予定だったが[15]、最終的にはアルバムの発売もツアーも7月に延期された。
本作は、アメリカのBillboard 200で4位、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートでは3位に達した[4]。1984年8月にはRIAAによってプラチナ・ディスクに認定され、同年10月には2×プラチナに認定された[16]。
グループの母国アメリカ以外でも、本作はセールス的に成功を収めた。イギリスでは、ジャクソン5としてのデビュー以来初めて全英アルバムチャートでトップ10入りを果たし、最高3位に達した[3][17]。日本のオリコンLPチャートでも、ジャクソン5時代を含めて初のトップ10入りを果たし、最高5位に達した[7]。オランダのアルバム・チャートでは3週連続2位を記録している[2]。
本作に伴うコンサート・ツアーでは55公演が行われ、約200万人を動員した[18]。
アディショナル・ミュージシャン
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