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ヴァイパー(Viper)は、ブラジルのヘヴィメタル・バンド。後にアングラ等で活動するアンドレ・マトスが、かつて在籍していた。
ヴァイパー Viper | |
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出身地 | ブラジル サンパウロ州 サンパウロ |
ジャンル |
ヘヴィメタル パワーメタル |
活動期間 |
1985年 - 1996年 2001年 - |
レーベル |
Rock Brigade マサカー・レコード / LMP ロードランナー・レコード Castle Brasil Eldorado |
公式サイト | www.viperbrazil.com.br |
メンバー |
レアンドロ・カソイロ ダニエル・マトス フェリペ・マチャド キコ・シュレッド グィルヘルム・マーティン |
旧メンバー |
ピット・パシャレル アンドレ・マトス リカルド・ボッシ カシオ・アウディ イヴ・パシャレル レナート・グラッシア ヴァル・サントス マルセル・メロ ヒューゴ・マリウッティ |
1985年にサンパウロで結成[1][2]。デモ・テープ『The Killera Sword』が評判となり、1987年にはデビュー・アルバム『ソルジャーズ・オブ・サンライズ』発表。
その後、ドラマーがカシオ・アウディからグィルヘルム・マーティンに交替し、セカンド・アルバム『シアター・オブ・フェイト』(1989年)発表。同作収録曲「Moonlight」は、ボーカルのアンドレ・マトスが初めて単独で作詞・作曲した楽曲で、ベートーヴェンの「月光」をモチーフとしている。1991年7月には、『シアター・オブ・フェイト』は日本でもビクター音楽産業から発売されるが、アンドレ・マトスは既に脱退しており、バンドは新しいボーカリストを加えず、ピット・パシャレルがリード・ボーカルも兼任する形で活動を継続。ドラマーの交替(レナート・グラッシアの加入)を経て、1992年には、4人編成時としては初のアルバム『Evolution』を発表。1993年4月には初の日本公演を行い、その模様はライヴ・アルバム『マニアックス・イン・ジャパン』として発表された。
1995年のアルバム『Coma Rage』では、パンク・ロックの要素を取り入れた音楽性に路線変更し[1]、続く『Tem Pra Todo Mundo』(1996年)ではポルトガル語の歌詞も取り入れるが、同作を最後にバンドとしての活動を停止。
2001年になると活動再開するが、ほどなくイヴ・パシャレルが脱退し、後任としてヴァル・サントスが加入。2004年にはリード・ボーカリストとしてリカルド・ボッシが加入して、バンドは再び5人編成となり、2007年には11年ぶりのスタジオ・アルバム『All My Life』発表。同作には、オリジナル・メンバーのアンドレ・マトスとイヴ・パシャレルもゲスト参加。その後ヴァル・サントスが脱退し、ツアーにはマルセル・メロが参加した。
2012年、アルバム・デビュー25周年を記念し、アンドレが復帰。同時にリカルド、レナート、マルセルの3人が脱退し、ドラマーにはグィルヘルムが復帰、ギタリストには元シャーマン、アンドレ・マトスのヒューゴ・マリウッティが加入。イヴ・パシャレルも正式復帰ではないが、ゲストとしてツアーなどに参加した。
2023年、レアンドロ・カソイロ(ボーカル)、キコ・シュレッド(ギター)といった新メンバーを迎えた編成で、約15年ぶりのスタジオ・アルバム『Timeless』を発表[3]。しかし、オリジナル・ベーシストのピット・パシャレルは、2024年8月31日にヴァイパーのサンパウロ公演中に体調を崩して応急処置を受け、当日のライヴは乗り切ったが、9月26日に膵癌を患っていることが公表され、翌27日に56歳で死去した[4]。バンドは同年10月、アンドレ・マトスの弟ダニエル・マトスを後任ベーシストに迎えた[5]。
在籍期間も示す。
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