ローレン・エタメ・マイヤー

カメルーンのサッカー選手 ウィキペディアから

ローレン・エタメ・マイヤー

ローレン(Lauren)ことラウレアーノ・ビサン・エタメ・マイヤーLaureano Bisan Etame Mayer, 1977年1月19日 - )はカメルーンの元サッカー選手。ポジションはディフェンダー

概要 ローレン, 名前 ...
ローレン
名前
本名 ラウレアーノ・ビサン・エタメ・マイヤー
Laureano Bisan Etame Mayer
ラテン文字 LAUREN
基本情報
国籍 カメルーン
生年月日 (1977-01-19) 1977年1月19日(48歳)
出身地 ロンディ・クレイビ
身長 180cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1996 ウトレラ 30 (5)
1996-1997 セビージャ・アトレティコ 17 (3)
1997-1998 レバンテ 34 (6)
1998-2000 マヨルカ 63 (4)
2000-2007 アーセナル 159 (7)
2007-2009 ポーツマス 25 (0)
2010 コルドバ 5 (0)
代表歴
2000 カメルーン U-23 6 (3)
1998–2004 カメルーン 25 (1)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2000 シドニーサッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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経歴

スペインでプロデビューし、1998年にRCDマヨルカに加入。元スペイン代表のビセンテ・エンゴンガと鉄壁のダブルボランチを構成した。98-99年のカップウィナーズカップ(現在のUEFAカップ)では、決勝でSSラツィオに敗れたものの、準決勝でアーセナルFCを破るなど、マヨルカ旋風の立役者となった。(ちなみに、マヨルカ在籍時代は、『ラウレン』と表記されることが多かった)

2000年夏にアーセナルFCへと移籍。03-04シーズンのリーグ戦無敗優勝等、チームの主力として活躍した。

2007年1月、冬の移籍マーケットでアーセナルFC時代のチームメイト、ソル・キャンベルヌワンコ・カヌらがプレーしているポーツマスFCへ移籍した。

カメルーン代表では2002 FIFAワールドカップに出場した。しかし大会後に代表招集を拒否、2004年に再び招集を受け入れるもその後正式に代表引退を表明した。2001年のコンフェデレーションズカップでは、何の予告もなく訪日が遅れ、一部では「ローレン失踪か ?」と報じられた。

2010年3月にスペインのコルドバCFと契約を結んだが、シーズン終了後現役を引退した。

人物

父親は赤道ギニア政治家だった。メイドが働き、大きな家に住んでいた裕福な家庭だったが、1977年に独裁者のマシアス・ンゲマにより、突然父親が政治犯として投獄され、処刑を待つ身になっていた。赤道ギニアに所属していた兄の働きで父親は釈放された。父親は既にローレンを妊娠中だった母親と共に国境を越えカメルーンに入国。ローレンはカメルーンで生まれた。かつてスペインの植民地だった赤道ギニアと違い、カメルーンではフランス語で話す必要があったため、家族は数年でスペインのマドリードへ引越し、セビリアへ移り住んだ[1]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 24試合 1得点(1997年-2002年)[2]
さらに見る カメルーン代表, 国際Aマッチ ...
カメルーン代表国際Aマッチ
出場得点
199710
199810
199920
200060
200141
2002100
通算241
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出典

外部リンク

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