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アルゼンチンのサッカー選手 ウィキペディアから
ロベルト・オスカル・ボナーノ(Roberto Oscar Bonano, 1970年1月24日 - )は、アルゼンチン・ロサリオ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
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名前 | ||||||
本名 |
ロベルト・オスカル・ボナーノ Roberto Oscar Bonano | |||||
愛称 | Tito (ティト、空飛ぶ猫) | |||||
ラテン文字 | Roberto BONANO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1970年1月24日(54歳) | |||||
出身地 | ロサリオ | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1996 | ロサリオ・セントラル | 110 | (0) | |||
1996-2001 | リーベル・プレート | 104 | (1) | |||
2001-2003 | バルセロナ | 51 | (0) | |||
2003-2004 | ムルシア | 11 | (0) | |||
2004-2008 | アラベス | 56 | (0) | |||
通算 | 332 | (1) | ||||
代表歴 | ||||||
1989 | アルゼンチン U-20 | 4 | (0) | |||
1996-2000 | アルゼンチン | 13 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
地元のCAロサリオ・セントラルからデビューし、1996年に移籍したCAリーベル・プレートでは、ブルゴスとレギュラーを争ったが、プリメーラ・ディビシオンで5度、コパ・リベルタドーレスで1度、スーペルコパ・スダメリカーナで1度の優勝を果たした。1996年日本開催のインターコンチネンタルカップ、ユベントスとの対戦においては、ボクシッチのなど決定期をファインデーブで再三防いだが[1]、デルピエーロにゴールを許し、1-0で敗れた。
2001年夏、31歳にして初の海外挑戦を決意し、スペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍した。すぐにポジションを獲得し、8月26日のセビージャFC戦 (2-1) でデビューしたが、攻撃偏重のプレースタイルへの適応に苦しみ、周囲からの批判にさらされた。下部組織からビクトル・バルデスが台頭すると余剰戦力とみなされ、2003年夏にはレアル・ムルシアへの移籍を余儀なくされた。2004年夏にはセグンダ・ディビシオン(2部)のデポルティーボ・アラベスに移籍し、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に一役買ったが、2005-06シーズンは同郷のフランコ・コンスタンソにポジションを奪われ、シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンへの降格が決まった。2007-08シーズンはチームメイトのルイス・カレラスと喧嘩し、クラブの代表でありオーナーであり経営者であるディミトリ・ピテルマンに出場禁止処分を下されるという散々なシーズンだった[2]。シーズン終了後に現役引退した。
世代別アルゼンチン代表を経て、1996年12月28日のユーゴスラビアとの親善試合 (2-3) でアルゼンチンA代表デビューした。2002年にはFIFAワールドカップに出場するメンバーに選ばれた。正ゴールキーパーを務めていた時期もあり、通算13試合に出場した。
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