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アメリカのバンドリーダー、ソングライター、編曲家、音楽プロデューサー(1918 - 1985) ウィキペディアから
ロバート・アレキサンダー・ブラックウェル(Robert Alexander Blackwell、1918年5月23日 - 1985年3月9日)は、アメリカ合衆国の音楽プロデューサー、ソングライター、編曲家、バンドリーダーである[2]。レイ・チャールズやリトル・リチャードなどのプロデュースを手がけたことで知られる。
ロバート・ブラックウェルは、1918年5月23日にワシントン州シアトルで生まれる[2][1]。1940年代[3]にピアニストのレイ・チャールズやトランペット奏者のクインシー・ジョーンズらとともにバンドを結成[1]。作曲の勉強のためにカリフォルニア州ハリウッドに移った後、スペシャルティ・レコードで編曲家および音楽プロデューサーとしての活動を開始[2]。
1955年の秋、リトル・リチャードのプロデュースを開始し、ニューオリンズにあるJ&Mレコーディング・スタジオで行なったレコーディングにはピアニストのヒューイ・"ピアノ"・スミス、ドラマーのアール・パーマー、サックス奏者のアルヴィン・"レッド"・タイラー、ギタリストのエドガー・ブランチャードとジャスティン・アダムズ、ベーシストのフランク・フィールズも参加した[1]。ブラックウェルは「トゥッティ・フルッティ」、「のっぽのサリー」、「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」、「レディ・テディ」、「リップ・イット・アップ」などリチャードのヒット曲を手がけた[2]ほか、1957年に発表されたサム・クックの「ユー・センド・ミー」のプロデュースを手がけた[4]。
1957年にスペシャルティ・レコードを離れ、クックをキーン・レコードに移籍させた[2]。1959年にクックとともにキーン・レコードを離れた[1]。同年にマーキュリー・レコードとA&Rディレクターとして契約を結び[5]、1963年まで務めた[6]。この間にブラックウェルは、リチャードのマネージャーとなり、以降1970年代までリチャードと活動を共にした[2]。
1985年3月9日の夜、ウィッティア病院医療センターで死去。この2日後に死因が肺炎の合併症であることが明らかになった[7]。
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