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アバディーン、エルギン、パース、ファイフなどのシェリフダムやバリンブライ男爵領(barony of Ballinbreich)などを所有したジョージ・レズリー(c.1417–1490)は、1445年にスコットランド貴族爵位レズリー卿(Lord Leslie)、1457年11月から1458年3月の間にロシズ伯爵に叙せられた[1][2]。
その孫にあたる3代ロシズ伯爵ウィリアム・レズリー(?-1513)は、1513年9月のイングランド軍とのフロドゥンの戦いにおいて戦死した[3][2]。
その息子4代ロシズ伯ジョージ・レズリー(?-1558)は民事上訴裁判所の判事(Extraordinary Lord of Session)を務めた[4][2]。
その玄孫の7代ロシズ伯ジョン・レズリー(c.1630–1681)は、 1663年から1667年にかけてスコットランド大蔵卿や1667年から1681年にかけてスコットランド大法官を務め、1680年5月29日にはスコットランド貴族爵位ロシズ公爵(Duke of Rothes)、バリンブライ侯爵(Marquess of Ballinbreich)、レズリー伯爵(Earl of Leslie)、ラグトン子爵(Viscount of Lugtoun)、Auchmoutie and Caskieberrie卿(Lord Auchmoutie and Caskieberrie)に叙せられた。いずれも男系男子に限定されるスコットランド貴族爵位であり、男子が無かったため、これらの爵位は彼一代で廃絶している[5][6]。
女系継承が可能なロシズ伯位とレズリー卿位は、ロシズ公の娘マーガレット・レズリー(?-1700)が継承し(8代ロシズ女伯爵)、最初の女系継承が発生した[2][7]。彼女は第5代ハディントン伯爵チャールズ・ハミルトン(1650-1685)と結婚したが、その間の長男ジョン・レズリー(?-1722)は、レズリーに改姓して第9代ロシズ伯爵を継承した(他方ハディントン伯爵位の方は新しい勅許状により次男トマス・ハミルトンが継承している[8])。9代伯は1704年から1705年にかけてスコットランド大法官を務め、さらに1708年から1710年と1715年から1722年にかけてスコットランド貴族代表議員としてイギリス貴族院に議席を保有した[2][9]
その息子である10代ロシズ伯ジョン・レズリー(?-1767)は、大将まで昇進した陸軍軍人であり、1758年から1767年にかけてはアイルランド最高司令官を務めた。また1723年から1734年、1747年から1767年にかけてはスコットランド貴族代表議員として貴族院議員を務めた[2][10]。
その息子である11代ロシズ伯ジョン・レズリー(1744–1773)が子供なく若くして死去した後、再び女系継承が発生し、その妹のジェーン・エリザベス・レズリー(1750–1810)が12代ロシズ女伯爵を継承した。彼女とジョージ・レイモンド・イヴリン(George Raymond Evelyn)(?-1770)の間の子である13代ロシズ伯爵ジョージ・ウィリアム・イヴリン=レズリー(1768–1817)は、1812年から1817年にかけてスコットランド貴族代表議員として貴族院議員を務めた[2][11]。
13代伯が男子を残さず死去した後、その娘のヘンリエッタ・アン・イヴリン=レズリー(1790–1819)が14代ロシズ女伯爵を継承した[2][12]。彼女はジョージ・グアイザー(George Gwyther)(?-1829)と結婚し、その間の息子ジョージ・ウィリアム・イヴリン・レズリー(1809–1841)が15代ロシズ伯爵位を継承した。ついでその息子ジョージ・ウィリアム・イヴリン・レズリー(1835–1859)が16代ロシズ伯爵位を継承したが、16代伯は子供ができる前に若くして死去したため、その姉ヘンリエッタ・アンダーソン・モーシェッド・レズリー(1832–1886)が17代ロシズ女伯爵を継承した[2][13]。彼女にも子供はなく、ついで叔母(14第ロシズ女伯爵の娘)にあたるメアリー・エリザベス・レズリー(1811–1893)が18代ロシズ女伯爵を継承した[2][14]。彼女と彼女の夫マーティン・エドワード・ハワース=レズリー(Martin Edward Haworth-Leslie)の間の息子マーティン・レズリー・レズリー(Martin Leslie Leslie)(1839-1882)は母より先に死去したため、18代伯の死後はマーティン・レズリー・レズリーの息子ノーマン・イヴリン・レズリー(1877–1927)が19代ロシズ伯爵位を継承している。彼は1906年から1923年にかけてスコットランド貴族代表議員として貴族院議員を務めた[2][15]。また彼の妻ノエル・レズリー (旧姓ダイアー=エドワーディス)は、タイタニック号に乗船していたことで知られる[16]。
その息子である20代ロシズ伯爵マルコム・ジョージ・ダイアー=エドワーディス・レズリー(1902–1974)は、1931年から1959年にかけてスコットランド貴族代表議員として貴族院議員を務めた[2][17]。
彼の死後は、その息子イアン・ライオネル・マルコム・レズリー(1932–2005)が21代ロシズ伯爵を継承し、ついでその息子ジェイムズ・マルコム・デイヴィッド・レズリー(1958-)が22代ロシズ伯爵を継承した。2018年現在の当主も彼である[2][18]。
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