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アメリカ合衆国の小説家・SF作家・数学者・情報科学者 ウィキペディアから
ルーディ・ラッカー(Rudy Rucker, 1946年3月22日 - )は、アメリカ合衆国の小説家、SF作家、数学者、情報科学者。本名ルドルフ・フォン・ビター・ラッカー(Rudolf von Bitter Rucker)。ルディー・ラッカーとも。
サイバーパンクSF、ユーモアSF、ハードSF、数学SFを得意とする特異な作家。最新の数学理論、物理理論を作品の核とするが、それをポップに具現化する作風が特徴。また、作品と似たようなテーマを題材とした、科学解説書も多数執筆している。
哲学者のヘーゲルの5世孫にあたる。
ケンタッキー州ルイヴィルに生まれる。1967年にペンシルベニア州スワースモア大学で数学の学士号を取得。ニュージャージー州ラトガース大学で1969年に数学の修士号、1973年に博士号を取得。1972年から1978年までニューヨーク州立大学ジェネセオ校で助教授を務める。アレクサンダー・フォン・フンボルト基金から奨学金を得て、1978年から1980年までルプレヒト・カール大学ハイデルベルクで数学を教える。1980年から1982年までバージニア州リンチバーグのランドルフ・メーコン女子大学で教鞭をとった後、4年間執筆業に専念した。
晩年のクルト・ゲーデルに面会し、大きな影響を受ける。
1977年に数学書『かくれた世界 幾何学・四次元・相対性』を発表。その前年、1976年に処女長編SF『時空ドーナツ』を書き、1978年「Unearth」誌に掲載するが、同誌休刊により未完となる。1980年に連続体仮説をテーマにし「カントール連続体問題とは何か?」という副題のついた長編『ホワイト・ライト』でプロ作家としてデビュー。
スティーブン・ウルフラムとのインタビューに触発され、1986年から2004年に退職するまでサンノゼ州立大学で数学と計算機科学を教えた。
1993年に東京国際美術館の「人工生命の美学」展で来日し、「A-Life、数学、SF」と題した講演、及び人工生命プログラム「人工生命細胞実験室(CA LAB:Rudy Rucker's Cellular Automata Laboratory)」の公開を行った。
日本では、1980年代なかばより「マニア好みの曲者作家」として紹介が進む。
1990年代には、アメリカでも絶版となっている初期作品を含む、彼の長編SFのほぼすべてが翻訳・紹介された。また日本オリジナル短編集も刊行された。
だが、2002年の『フリーウェア』・2003年の『ソフトウェア工学とコンピュータゲーム』の翻訳刊行後、翻訳は行われていない(ラッカーの代表作である、『ウェア』4部作の最終巻、“Realware”も翻訳されていない)。
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