ルーゴ (スペイン)
スペインの都市 ウィキペディアから
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ルーゴ(ガリシア語: Lugo)は、スペイン・ガリシア州ルーゴ県のムニシピオ(基礎自治体)。ルーゴ県の県都である。山に囲まれた盆地に位置しており、近くをミーニョ川が流れる。ガリシア統計局によると、2013年の人口は98,761人(2012年:98,457人、2010年:97,635人、2008年:95,416人)[1] で、ガリシア州では第4位の人口を持つ。旧市街を取り囲むローマ時代の市壁が世界遺産に登録されている。住民の呼称はlugués/-sa、男女同形のlucenseも使われる。ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は、2001年時点において90.02%だった。
ルーゴは、紀元前26年から紀元前12年にかけてアウグストゥスの軍団長によって建設され、「ルクス・アウグスティ」と名付けられた(「ルクス」の意味は「明るい」「聖なる森」など諸説ある)。カンタブリアとの戦争による駐屯地の跡に建てられたもので、アウグストゥス時代の拡張政策の産物である。後にイベリア半島北西部のローマ属州ガラエキアの3つの都の1つとなった(他の2つはBracara Augusta、ブラカラ・アウグスタ、現ブラガとAsturica Augusta、アストゥリカ・アウグスタ、現アストルガ)。
紀元3世紀終わりから4世紀始めのローマ帝国後期に、現在も残る市壁が建設された。ルーゴはローマ時代以降は無人となり、中世初期に住んでいたのは聖職者だけだったという説もある。1129年にロマネスク様式の大聖堂の建設が始まり、聖母マリアに捧げられた。中世後期には、サンティアゴ・デ・コンポステーラのように巡礼の中心地となった。
近代になってからは、現在のルーゴ県の地域にはモンドニェードやリバデオのように産業が盛んな都市が他にもあった。ルーゴがこの地域で最も重要な都市となったのは、1833年スペイン地方行政区分再編でルーゴ県が設置され、ルーゴが県都と定められてからである。
ルーゴの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] |
自治体首長はガリシア社会主義者党(PSdeG-PSOE)のホセ・クレメンテ・ロペス・オロスコ(José Clemente López Orozco)[4]、自治体評議員は、ガリシア国民党(PPdeG):12、ガリシア社会主義者党:11、ガリシア民族主義ブロック(BNG):1となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[5]。
首長当選者:ホセ・クレメンテ・ロペス・オロスコ(PSdeG) |
首長当選者:ホセ・クレメンテ・ロペス・オロスコ(PSdeG) |
首長当選者:ホセ・クレメンテ・ロペス・オロスコ(PSdeG) |
首長当選者:ホセ・クレメンテ・ロペス・オロスコ(PSdeG) |
ルーゴには、スペインの首都マドリードからの高速道路(N-6号線)が通っている。また、鉄道駅も設置されており、鉄道でア・コルーニャ県の県都ア・コルーニャ方面へ向かうことと、県内のサリアなどを経由してルーゴ県南部の都市モンフォルテ・デ・レモスへ向かうことができる。
市内にはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学(USC)のルーゴ・キャンパス(Campus de Lugo)があり、次のような学部が開設されている。
ルーゴは55の教区に分けられる。
ルーゴの市壁は2000年に「ルーゴのローマ城壁」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ローマ時代の市壁としてはヨーロッパでも珍しく保存状態が良好で、欠けることなく街を360度取り囲んでいる。市壁の高さは10メートルから15メートルで、長さは2.5 km、71の塔を持つ[15]。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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