ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ
フランスの外交官、詩人(1716-1798) ウィキペディアから
フランスの外交官、詩人(1716-1798) ウィキペディアから
ニヴェルネー公ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ (Louis-Jules Mancini-Mazarini, duc de Nivernais、1716年12月16日 - 1798年2月25日)は、フランスの外交官、詩人。ジュール・マザラン枢機卿の甥ヌヴェール公フィリップ・マンチーニの孫である。
ヌヴェール公フィリップ・ジュールと妻マリー・アンヌの子として、パリで生まれる。コレージュ・ルイ・ル・グランを卒業した。1733年のイタリア遠征、1740年のボヘミア遠征に従軍するが、自身の病弱さ故に軍務をあきらめ、政界へ入る。1748年から1752年まで駐ローマ大使、1755年から1756年まで駐ベルリン大使、そしてパリ条約締結交渉のためロンドンに駐在した。フランス革命勃発後も国内にとどまったが、全財産を失い、1793年には投獄された。ロベスピエール失脚後に解放され、1798年に亡くなった。
1730年にポンシャトレーン伯ジェロームの末子エレーヌと結婚。2女をもうけた。
1782年、セレスト侯ルイ(en)の娘マリー・テレーズと再婚。子供はなかった。
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前任 ジャン=バティスト・マティヨン |
アカデミー・フランセーズ 席次4 第6代:1742年 - 1798年 |
後任 ガブリエル=マリ・ルグヴェ |
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