リチャード・ハンドコック (第4代カースルメイン男爵)

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リチャード・ハンドコック (第4代カースルメイン男爵)

第4代カースルメイン男爵リチャード・ハンドコック英語: Richard Handcock, 4th Baron Castlemaine1826年7月25日1892年4月26日)は、イギリスの貴族、政治家。1874年から1892年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]

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フレデリック・サージェント(Frederick Sargent)による素描、1870年代。

生涯

第3代カースルメイン男爵リチャード・ハンドコックと妻マーガレット(Margaret、旧姓ハリス(Harris)、1867年1月27日没、マイケル・ハリスの次女)の長男として、1826年7月25日にアスローンで生まれた[1]王立陸軍士官学校に入学して士官候補生になった後、1844年4月12日にエンサイン英語版(歩兵少尉)としての辞令を購入して、第24歩兵連隊英語版に配属された[2]。中尉に昇進した後、1847年1月22日に第41歩兵連隊英語版に転じた[3]。1852年11月26日、大尉に昇進した[4]。1854年3月、陸軍から引退した[5]

1869年7月4日に父が死去すると、カースルメイン男爵位を継承した[1]。1874年5月9日にアイルランド貴族代表議員に選出され[6]、1892年に死去するまで務めた[1]

1876年時点でウェストミーズ県に11,444エーカーの、ロスコモン県に597エーカーの領地を所有し、合計で年収7,254ポンド相当だった[7]。1883年時点でも領地の面積は同じであり、領地からの収入は年収8,919ポンド相当だった[1]

ウェストミーズ県で治安判事副統監を務めたほか[7]、1889年1月14日にウェストミーズ統監に任命され、1892年に死去するまで務めた[8]

1892年4月26日、心臓病によりモイドラム城英語版で死去、息子アルバート・エドワードが爵位を継承した[1]

家族

1857年2月10日、ルイーザ・マティルダ・ハリス(Louisa Matilda Harris、1836年2月10日 – 1892年1月31日 モイドラム城英語版第2代ハリス男爵ウィリアム・ハリス英語版の娘)と結婚[1]、3男5女をもうけた[9]

  • リチャード・テンプル(1859年11月26日 – 1860年4月12日[1]
  • アグネス・イザベラ(1861年2月7日[9] – 1908年1月4日) - 1885年2月5日、コンウェイ・リチャード・ドブス・ヒギンソン(Conway Richard Dobbs Higginsonサー・ジェームズ・ヒギンソンの息子)と結婚、子供あり[10]
  • フローレンス・マーガレット(1862年2月20日[9] – 1934年4月1日) - 1886年1月14日、ヒューバート・ジョン・ブロートン・アダーリー(Hubert John Broughton Adderley、1931年4月9日没)と結婚、子供あり[10]
  • アルバート・エドワード(1863年3月26日 – 1937年7月6日) - 第5代カースルメイン男爵[10]
  • ロバート・アーサー(1864年4月19日 – 1954年5月31日) - 第6代カースルメイン男爵[10]
  • イーディス・ルイーザ(1865年9月1日[9] – 1891年10月10日、第2代ロスミード男爵ハーキュリーズ・ロビンソン(1933年5月26日没)と結婚[10]
  • マーガレット/メタ(Margaret/Meta、1867年2月2日[9] – 1937年3月1日) - 1891年6月30日、デイヴィッド・ノックス・ラットレッジ(David Knox Ruttledge)と結婚[10]
  • アリス(1868年2月10日[9] – 1937年2月26日) - 1892年10月12日、ミード・ジェームズ・クロスビー・デニス(Meade James Crosbie Dennis、1945年10月27日没)と結婚、子供あり[10]

出典

外部リンク

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