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この項目では、ウルグアイのサッカークラブについて説明しています。アルゼンチンのサッカークラブについては「ラシン・クラブ」をご覧ください。 |
ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ(西: Racing Club de Montevideo)は、ウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とするサッカークラブ。2023シーズンからはプリメーラ・ディビシオンに所属。
概要 ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ, 原語表記 ...
ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ |
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原語表記 |
Racing Club de Montevideo S.A.D. |
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愛称 |
Cerveceros(ビールメーカー) La Escuelita La Academia |
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クラブカラー |
緑 白 |
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創設年 |
1919年 |
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所属リーグ |
プリメーラ・ディビシオン |
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所属ディビジョン |
1部(2024シーズン) |
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ホームタウン |
モンテビデオ |
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ホームスタジアム |
エスタディオ・パルケ・オスバルド・ロベルト(スペイン語版) |
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収容人数 |
8,500 |
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代表者 |
ラウール・ロドリゲス |
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監督 |
エドゥアルド・エスピネル(英語版) |
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公式サイト |
公式サイト |
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1919年4月6日にユイトFC(Yuyito F.C.)という名前で設立され、その後近隣のストリートの名前であったグアイクルー(Guaycurú)を経て、現在の名称になった。モンテビデオの旧サン・マルティン&グアダルーペ駅(San Martín and Guadalupe station)はモンテビデオを縦断する路面電車の終着点であり、その路面電車の色が緑と白であったことからクラブカラーも緑と白を採用した。グラウンドの前に有名なビール工場があったことから、当初はビールメーカーを意味するCervecerosの愛称で呼ばれていたが、次第にサッカーチーム単体として知名度を獲得していくとLa Academiaとしても呼ばれるようになった[1]。
2021年、経営面で再編成されてスポーツ企業(S.A.D.)になると、2023年12月にはFCバイエルン・ミュンヘンとロサンゼルスFCの合弁会社であるレッド&ゴールドフットボールが筆頭株主になった[2]。
- セグンダ・ディビシオン(1903-):6回
- (1923), (1929), (1930), 1955, 1958, 1974, 1989, 2007-08, 2022
※1923シーズン、1929シーズン、1930シーズンは前身大会のディビシオナル・インテルメディア[注釈 1]
- ホルヘ・ヒオルダーノ(スペイン語版) 2011.12-2012.10
- ミゲル・アンヘル・ピアッサ(スペイン語版) 2012.10-2013.01
- フアン・ラモン・テヘラ(英語版) 2013.01-2013.06
- ロサリオ・マルティネス(英語版) 2013.07-2013.12
- マウリシオ・ラリエラ(英語版) 2014.01-2014.12
- パブロ・アロンソ(スペイン語版) 2015.01-2015.04
- サンティアゴ・オストラサ 2015.04-2015.08
- ダリオ・ラロッサ(英語版) 2015.09-2015.12
- Sebastián Taramasco 2016.01-2016.05
- フリオ・コメサーニャ(英語版) 2016.07-2016.09
- Ney Morales 2016.09-2017.05
- パブロ・ペイラーノ(英語版) 2017.05-2017.12
- エルナン・ロドリゴ・ロペス 2018.01-2018.08
- フアン・ラモン・テヘラ 2018.08-2019.06
- アレハンドロ・アプド(英語版) 2019.06-2019.09
- エドゥアルド・ファバーロ(スペイン語版) 2019.09-2019.12
- グスタボ・ビスカイザック(英語版) 2020.01-2020.09
- マルティン・ガルシア(英語版) 2020.09-2020.12
- ダミアン・サンティン(英語版) 2021.03-2022.10
- グスタボ・フェルマーニ(英語版) 2022.11-2023.09
- エドゥアルド・エスピネル(英語版) 2023.09-
ディビシオナル・インテルメディアは、1915シーズン-1941シーズンは2部相当リーグであったが、1942シーズン-1971シーズンは3部相当リーグであった。
“HISTORIA” (スペイン語). Racing Club. 2024年5月1日閲覧。