ライモント・ファン・バルネフェルト

オランダのダーツ選手 (1967-) ウィキペディアから

ライモント・ファン・バルネフェルト

ライモント・ファン・バルネフェルト[6] (Raymond van Barneveld, "Barney", "The Man", 1967年4月20日 - )は、オランダのプロフェッショナル・ダーツ・プレイヤーである。 右投げ。デン・ハーハ出身。 現在の所属団体は、プロフェッショナル・ダーツ・コーポレイション (PDC) である。 彼は、ワールド・チャンピオンに5度、UKオープン・チャンピオンに2度、それぞれ、輝いた。 2008年の1月から6月まで、PDC オーダー・オヴ・メリットにおいて、ナンバー・ワンにランクされていたこともある。 合計で、ブリティッシュ・ダーツ・オーガナイゼイション (BDO) のメジャーで11度 (ワールド・チャンピオンシップで4度、ワールド・マスターズで2度、ワールドダーツ・トロフィーで3度、そして、インターナショナル・ダーツリーグで2度)、PDCのプレミア・イヴェントで6度 (ワールド・チャンピオンシップで1度、UKオープンで2度、ラスベガス・デザート・クラシックで1度、グランド・スラム・オブ・ダーツで1度、プレミア・リーグ・ダーツで1度)、優勝している。

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ライモント・ファン・バルネフェルト (2006)

以前、4回、BDO ワールド・チャンピオンシップで優勝したことに加えて、2007 PDC ワールド・チャンピオンシップでの勝利によって、5回ワールド・チャンピオンになったエリック・ブリストウと、並んだ。 彼は、オランダ人史上、最も成功したダーツ・プレイヤーであり、オランダでダーツを広めるのに多大な影響を持っている。

BDOでの活躍

要約
視点

バルネフェルトが初めてワールド・チャンピオンシップに出場したのは、1991年、レイクサイド・カントリー・クラブで行われたEmbassy ワールド・チャンピオンシップだったが、このときは、第1ラウンドでオーストラリア人のキース・サリバンに、0-3で敗退した。

それから、彼は、BDOサーキットで、躍進し始め、1990年9月に行われたベルジャン・オープンと、1991年3月に行われたジャーマン・オープンで、準々決勝にまで進出した。 彼が初めて準決勝に進出したのは、1991年6月に開催されたスイス・オープンのことである。

彼は、1992年のワールド・チャンピオンシップでは、予選落ちしてしまったものの、1993年に、再びレイクサイドに返り咲いている。 このときは、接戦の末、2-3で、後にこのトーナメントのチャンピオンとなるジョン・ロウに敗れた。 1993年のワールド・チャンピオンシップが終わって間もなく、このスポーツにおける当時のトップ・プレイヤー達が、ワールド・ダーツ・カウンスル (WDC、現在のPDC) を設立し、BDOを離れていった。

バルネフェルトは、1994年のダーツ団体分裂後、BDOのオープン大会で飛躍し続け、ダッチ・オープンとベルリン・オープンでは準々決勝に、ベルジャム・オープンでは準決勝に、そしてフィニッシュ・オープン (Finnish Open) では、アンディ・フォーダムに敗れたものの、決勝に、それぞれ到達した。

彼は、1995年のワールド・チャンピオンシップでも、決勝まで順調に駒を進めていった。 しかし、ウェールズ人のリッチー・バーネットに、3-6で敗れ去る。

1996年と1997年、どちらも第2ラウンド敗退となった後、1998年の決勝は、1995年の決勝と同じ対決となり、この元ポストマン[7]は、バーネットを打ち破り、初めてのワールド・タイトルを手にした。 この対決は、それまでに無い5-5 (セッツ) に達したことにより、最高に素晴らしい試合の1つと、しばしばみなされているが、最終的には、バルネフェルトが、フィニッシュのD8を決め、最終セットを4-2 (レッグズ) で勝利したことにより、このタイトルを獲得した。

彼は、1年後、イングランドロニー・バクスターに、またもや6-5でチャンピオンの防衛に成功する。 これで、彼は、このトーナメント史上、このタイトル防衛を成功した、たった2人のプレイヤー(もう1人は、エリック・ブリストウ)となった。

彼の連続優勝の走行は、2000年に第1ラウンドで、クリス・メイソンに当たってしまったことにより、終了した。 メイソンは、アベレージ100を叩き出し、ワールド・チャンピオンのハット・トリックと言うバルネフェルトの望みは、終わった。

バルネフェルトは、2001年と2002年は準々決勝で、4-5でテッド・ハンキーに、3-5でマーヴィン・キングに、それぞれ敗北している。 そして、2003年、彼は、6-3でウェールズ出身のリッチー・デイヴィズに勝利し、3度目のワールド・タイトルを手にした。

翌年の2004年は、準決勝でアンディ・フォーダムに、4-5で敗れた。

2005年、彼は、4度目のタイトルを、手にした。 彼は、初めの3ラウンドを、1セットも落とさず、ゲイリー・アンダーソンマイク・ヴァイチ、そして、ヴィンセント・ファン・デル・フォールトを倒した。 準決勝では、5-3でダリル・フィットンに勝利し、決勝では、イングランドマーティン・アダムズに6-2で勝利し、4度目の栄冠に輝いた。

続く2006年、バルネフェルトは、6度目の決勝に出場し、5度のBDOのワールド・タイトルというブリストウの記録に並ぼうと試みた。 しかし、今回、彼の望みは、同郷の仲間である、当時21歳のイェレ・クラーセンに、5-7という結果で打ち負かされ、消えてしまう。

また、彼は、BDOにおいて、Winmau ワールド・マスターズのタイトルも、2回取得した。 1度目は、2001年、フィンランドヤルコ・コムラに、2度目は、2005年、スウェーデンヨーラン・クレッメに、それぞれ決勝において勝利したときである。 他の主要なダーツのトーナメントにおいて、彼が少なくとも2回以上は優勝したものには、ワールド・ダーツ・トロフィと、インターナショナル・ダーツ・リーグが、ある。

PDCでのキャリア

4度のワールド・チャンピオンも経験した15年間のBDOでのプレイの後、ファン・バルネフェルトは、2006年2月15日にBDOからPDCに移籍することを発表した。 移籍の理由に、彼は大きなチャレンジをしたいということと、いつでもフィル・テイラーのようなプレイヤーと一緒に戦いたいということを挙げる[8]。 ゼロから初めて、彼は、素晴らしいPDCの初年を飾った。 移籍から12か月の間に、彼は、世界第2位のプレイヤーになり、ワールド・チャンピオンにも輝いた。

彼のPDCのデビューは、2006 プレミア・リーグ中のことだった。 第1ラウンドにおいて、彼は、8-1という大差で、バクスターに勝利した。 3月23日、彼は初めてテレビ放送中のナイン・ダート・フィニッシュを達成し、また、その夜はテイラーとも対戦し、7-7の引き分けに食い止めた。 これの再対戦は、バルネフェルトの39歳の誕生日に訪れたが、6-8でテイラーに敗れてしまう。 また、このプレミア・リーグの準決勝で、同郷の仲間であるローランド・ショルテンに、予想外にも3-11で負けてしまった。

それから、バルネフェルトは、彼にとって11回目のBDO グランド・スラム・トーナメントであるインターナショナル・ダーツリーグの決勝で、コリン・ロイドを13-5で打ち破り、順風満帆な道を進み始める。 6月に、ボルトンリーボック・スタジアムで開催された、UKオープンの決勝において、バリー・ベイツに勝利し、彼にとって初となるPDCのプレミア・タイトルを獲得する。 その日はそれより先に、準々決勝でテイラーに勝利でき、PDCに移ってから口にしてきた夢の1つを達成できた。 彼は、数週間後、2006 ラスベガス・デザート・クラシックの準決勝においても、テイラーを打ち破る。 翌日の決勝で、彼は、3-6でカナダ人のジョン・パートに負けた。

この後すぐ、バルネフェルトは、ダーツを変え、テイラーが使っている"スタッキング"・テクニックを使い始めた。 このダーツは、以前使っていたものよりも、1グラム軽く、オランダにある地元の小売店で£1程度のものだった。

昇り調子のマイケル・ヴァン・ガーウェンに、ワールド・ダーツ・トロフィの第1ラウンドで負けた後、バルネフェルトは、投げ終わりに取り組まねばならないことに気づいた。 Sky Bet ワールド・グランプリでの調子は、良かったものの、第2ラウンドで、フィル・テイラーに負けてしまう。

テイラーとバルネフェルトは、2007 PDC ワールド・チャンピオンシップの決勝で、再び対決することになる。 後に、テイラーが、その時までに経験した決勝の中で、最高の決勝と語った試合である。 3セットを落としたものの、サドン・デス・レッグで7-6でテイラーに見事逆転し[9]、5回のワールド・タイトルと言うエリック・ブリストウの記録に並んだ。 2007年2月に、ライモントは、2007 マスターズ・オヴ・ダーツの決勝戦において、7-0 (セッツ) で、ピーター・マンリーに勝利する。その時の彼のアヴェレッジは、107であった。 彼の活躍は、カメラのむこうにも、映し出されていた。

2007年のプレミア・リーグでは、2006年のように上手くはいかず、グループ・セクションでテイラーに2度、デニス・プリーストリーとロイドに1度、それぞれ、負けてしまう。 それでも、彼は、何とかグループ・セクションで2位になって、プレイオフに進出したものの、準決勝において10-11でテリー・ジェンキンスに敗北する。

しかし、バルネフェルトは、2007 UKオープンの準々決勝において、11-4でテイラーに大勝利を収めるなどして調子を取り戻していき、準決勝において、11-4でコリン・ロイドを、決勝において、16-8でファン・デル・フォールトを、それぞれ打ち破り、タイトル防衛に成功した。 同時に、バルネフェルトは、UKオープンの王座を防衛した初めてのプレイヤーにもなった。 1カ月後、彼は、2007 ラスベガス・デザート・クラシックの決勝において、13-6でテリー・ジェンキンスを破り、またもや大きなタイトルを獲得した。 2007年の5つの主要なタイトル、すなわち、ワールド・チャンピオンシップUKオープンラスベガス・デザート・クラシックワールド・マッチプレイ、そして、ワールド・グランプリを全て獲得するというバルネフェルトの夢は、ブラックプールで行われた、ワールド・マッチプレイの準々決勝において、エイドリアン・ルイスに14-16 (レッグズ) で負けたときに、終わった。

2008年は、バルネフェルトにとって、最も調子が悪く、主要なトーナメントで勝てず、成功から程遠い年であった。 ワールド・チャンピオンシップの王座防衛は、インフルエンザになってしまい、深刻な状況となった。 彼は、第2ラウンド中に、呼吸困難でリタイアしなければならない寸前にまでなったものの、なんとか、最初の2戦を圧倒的な大差で勝利できた。 だが、第3ラウンドにおいて、ケビン・ペインターに2-4で敗戦する。 この後、2008 プレミア・リーグ・ダーツの準決勝まで到達したが、ジェームズ・ウェイドに敗戦し、このトーナメントの同じステージで3期連続敗退してしまう。 彼は、USオープンの早い段階でも敗北し、ラスベガス・デザート・クラシックでは、アラン・タバーンに、そして、UKオープンの準決勝では、その前に、ライヴァルのフィル・テイラーに10-9 (レッグズ) で勝利したばかりであったが、ゲイリー・モーソンに、それぞれ、打ち破られる。 彼は、ワールド・マッチプレイの準々決勝でも、ウェイン・マードルに敗戦した。 しかし、彼は、ワールド・グランプリで幾分調子を取り戻し、最終的には、テイラーに6-2 (セッツ) で負けてしまったものの、決勝戦まで到達した。 彼は、初開催のヨーロピアン・ダーツ・チャンピオンシップにおいて、ルイスのダーツにまたしても準々決勝で苦しみ、2-9 (レッグズ) で敗れ去った。

2009年1月2日、2009 PDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップの準々決勝であるオランダ人の対クラーセン戦において、バルネフェルトは、2度目のテレビ放送中におけるナイン・ダート・フィニッシュを達成した。 彼は、第6セットの第2レッグにおいて、最高点の180を2回獲得した後、順に、T20、T19、そして、D12にダーツを、見事打ち付けた。 UKオープンにおいて、テイラーが、ジェイミー・ハーヴェイ相手にナイン・ダート・フィニッシュを達成してから、誰も受け取ってない£20,000を、この功績は、バルネフェルトにもたらし、同時に、彼は、PDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップで、初めてナイン・ダート・フィニッシュを達成したプレイヤーにもなった。 彼は、161からのフィニッシュなども達成したこの対戦を5-1で勝ち進み、準決勝で、ウェイドにも勝利した。 しかし、決勝では、テイラーに1-7で苦戦し、敗れてしまう。 結局、2007 ワールド・チャンピオンを守れず、£100,000を獲得できなかった(準優勝なので、£60,000の獲得) 結果、彼は、PDC オーダー・オヴ・メリットにおいて、2位から3位に転落してしまった。

2009年のラスベガス・デザート・クラシックでは、彼は調子を取り戻し、決勝で11-13というわずかな差で、フィル・テイラーに、負けた。 その対戦後、バーニーは、Sky Sportsの司会者、デイヴ・クラークのマイクをとり、フィル・テイラーについて語る。

ワールド・マッチプレイの準々決勝で、テリー・ジェンキンスに敗れた後、バルネフェルトは、ダーツをしばらく休む。 彼は、チャンピオンシップ・オヴ・ダーツサウス・アフリカン・マスターズの出場を辞退した。 バルネフェルトは、ダーツを辞めるのではという憶測もあったが、彼は、2009 ワールド・グランプリの第1ラウンドにおいて、アラン・タバーンに勝利した後、彼は、糖尿病にかかっていたので、彼の休暇は、健康のために身体を鍛えようとジムに通うためのものだったと、述べた。 彼は、主要トーナメントの敗戦理由を糖尿病によるものとも、考えた。

2009年12月28日、バルネフェルトは、PDC ワールド・チャンピオンシップの第2ラウンド、対ブレンダン・ドーラン戦で、またナイン・ダート・フィニッシュを達成し、PDC ワールド・チャンピオンシップにおいて、初めて2回ナイン・ダート・フィニッシュを決めたプレイヤーとなった。 彼は、準決勝まで勝ち進み、5-6でサイモン・ウィットロックに負けた。 彼は、3位決定戦のプレイオフにおいて、8-10 (レッグズ) でマーク・ウェブスターに負けた。

2010年4月29日、バルネフェルトは、2010 プレミア・リーグ・ダーツの対テリー・ジェンキンス戦において、またもやナイン・ダート・フィニッシュを達成した[10]。 これは、結局6位で終わってしまう、調子が出ないプレミア・リーグ中の出来事であった。 プレミア・リーグ中、バーニーは、個人的な問題で悩んでおり、彼と彼の家族は、恐喝されていると語った。 彼は、2010 UKオープンの8つの予選のイヴェントのうちたった1つしか参加できず (3つ以上のイヴェントに参加することが、予選通過の条件のうちの1つとなっている)、本線に参加できなかった。

次のナイン・ダート・フィニッシュは、2010年7月17日、ブラックプールで行われた2010 ワールド・マッチプレイの第1ラウンド、対デニス・オーブンズ戦においてのことだった。 彼は、初めてワールド・マッチプレイの決勝戦に進出したが、そこで、フィル・テイラーに、12-18で負けた。

主な成績

要約
視点

BDO世界選手権

  • 優勝: 4回 (1998 – 99, 2003, 05)
  • 準優勝: 2回 (1995, 2006)
  • ベスト4: 1回 (2004)
  • ベスト8: 2回 (2001 – 02)

ワールドマスターズ

  • 優勝: 2回 (2001, 05)
  • 準優勝: 1回 (2003)
  • ベスト4: 1回 (1995)
  • ベスト8: 無し

ファインダーダーツ・マスターズ

  • 優勝: 3回 (2001, 03 – 04)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 2回 (2000, 02)
  • ベスト8: 1回 (2005)

インターナショナル・ダーツリーグ

  • 優勝: 3回 (2003 – 04, 06)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 1回 (2007)

ワールドダーツ・トロフィー

  • 優勝: 2回 (2003 – 04)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 1回 (2002)
  • ベスト8: 無し

PDC世界選手権

  • 優勝: 1回 (2007)
  • 準優勝: 1回 (2009)
  • ベスト4: 5回 (2010, 13, 15 – 17)
  • ベスト8: 2回 (2011, 18)

ワールドマッチプレー

  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 1回 (2010)
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 4回 (2007 – 09, 11)

ワールドグランプリ

  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 2回 (2008 – 09)
  • ベスト4: 3回 (2007, 10, 16)
  • ベスト8: 1回 (2017)

UKオープン

  • 優勝: 2回 (2006 – 07)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 2回 (2008, 13)
  • ベスト8: 2回 (2012, 17)

ラスベガス・デザート・クラシック

  • 優勝: 1回 (2007)
  • 準優勝: 2回 (2006, 09)
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 無し

プレミア・リーグ・ダーツ

  • 優勝: 1回 (2014)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 7回 (2006 – 09, 11, 13, 15)
  • ベスト8: 無し

グランドスラム・オブ・ダーツ

  • 優勝: 1回 (2012)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 3回 (2009, 15, 22)
  • ベスト8: 2回 (2008, 16)

ヨーロピアン・チャンピオンシップ

  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 2回 (2011, 14)
  • ベスト8: 3回 (2008, 10, 12)

プレイヤーズ・チャンピオンシップ・ファイナルズ

  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 4回 (2009, 13, 16, 19)

マスターズ

  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 2回 (2015, 18)
  • ベスト4: 1回 (2013)
  • ベスト8: 1回 (2017)

チャンピオンズリーグ・オブ・ダーツ

  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 1回 (2017)
  • ベスト8: 無し

マスターズ・オブ・ダーツ

  • 優勝: 1回 (2007)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 1回 (2005)
  • ベスト8: 無し

年度別成績

さらに見る 年, BDO ...
BDO PDC 年度末順位
WPC WM WDC WMP WG LAS UK PR GS EU PCF WC
1990 NJ L32 NH NH NH NH NH NH NH NH NH NH -
1991 L32 L64
1992 NJ RR
1993 L16 L64
1994 NJ L16 NJ NJ
1995 F SF
1996 L16 L16
1997 L16 L64
1998 W L64 NJ
1999 W L16
2000 L32 L128
2001 QF W
2002 QF L64 NJ
2003 W F NJ
2004 SF L16
2005 W W NJ
2006 F NJ L16 F W SF 32
2007 NJ W QF SF W W SF L16 2
2008 L16 QF F L16 SF SF QF QF 2
2009 F QF F F L16 SF SF L16 QF 2
2010 SF F SF NH NJ GS L16 QF NJ W 3
2011 QF QF L16 L16 SF GS SF NJ NH 8
L16
2012 L64 L16 L32 QF GS W QF L32 SF 13
2013 SF L16 L16 SF SF GS L16 QF L16 10
2014 L16 L16 L16 L16 W L16 SF L32 W 14
2015 SF L32 L32 L32 SF SF L32 L32 SF 16
2016 SF L32 SF L32 GS QF NJ QF F 12
2017 SF L16 QF QF GS L16 L64 W 9
2018 QF L16 L16 L64 GS GS NJ W 17
2019 L64 NJ NJ L64 GS NJ QF NJ 40
2020 L96 NJ NJ NJ -
2021 NH NJ L128 GS L32 58
2022 L64 L96 SF L64 29
2023 L32 L32 L32 L64 NJ L32 L64 29
2024 L16 L32 L32 L64 L32 L32 34
2025 L64 L64
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注: 表中のNHは不開催, NJは非参加, RRは予選ラウンド敗退, QFは準々決勝敗退, SFは準決勝敗退, Fは準優勝, Wは優勝, GSはグループステージ敗退を示す。トーナメント表記は以下の通りである。なお、年度末順位はPDCのものだけである。

WPC: BDOワールド・プロフェッショナル・ダーツ・チャンピオンシップス, WM: ワールド・マスターズ, WDC: PDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップ, WMP: ワールド・マッチプレイ, WG: ワールド・グランプリ, LAS: ラスベガス・デザート・クラシック, UK: UKオープン, PR: プレミア・リーグ・ダーツ, GS: グランド・スラム・オブ・ダーツ, EU: ヨーロピアン・チャンピオンシップ, PCF: プレイヤーズ・チャンピオンシップ・ファイナルズ, WC: PDCワールド・カップ・オブ・ダーツ

ワールド・チャンピオンシップの結果

BDO

  • 1991: 第1ラウンド (0 - 3 キース・サリバンに敗北)
  • 1993: 第2ラウンド (2 - 3 ジョン・ロウに敗北)
  • 1995: 準優勝 (3 - 6 リッチー・バーネットに敗北)
  • 1996: 第2ラウンド (1 - 3 マット・クラーク英語版に敗北)
  • 1997: 第2ラウンド (2 - 3 レス・ウォレスに敗北)
  • 1998: 優勝 (6 - 5 リッチー・バーネットに勝利)
  • 1999: 優勝 (6 - 5 ロニー・バクスターに勝利)
  • 2000: 第1ラウンド (1 - 3 クリス・メイソンに敗北)
  • 2001: 準々決勝 (4 - 5 テッド・ハンキーに敗北)
  • 2002: 準々決勝 (3 - 5 マーヴィン・キングに敗北)
  • 2003: 優勝 (6 - 3 リッチー・デイヴィズに勝利)
  • 2004: 準決勝 (4 - 5 アンディ・フォーダムに敗北)
  • 2005: 優勝 (6 - 2 マーティン・アダムズに勝利)
  • 2006: 準優勝 (5 - 7 イェレ・クラーセンに敗北)

PDC

  • 2007: 優勝 (7 - 6 フィル・テイラーに勝利)
  • 2008: 第3ラウンド (2 - 4 ケビン・ペインターに敗北)
  • 2009: 準優勝 (1 - 7 フィル・テイラーに敗北)
  • 2010: 4位 (8 - 10 [leg] マーク・ウェブスターに3位決定戦で敗北; 5 - 6 サイモン・ウィットロックに準決勝で敗北)
  • 2011: 準々決勝 (1 - 5 ゲイリー・アンダーソンに敗北)
  • 2012: 第1ラウンド (0 - 3 ジェームズ・リチャードソンに敗北)
  • 2013: 準決勝 (4 - 6 フィル・テイラーに敗北)
  • 2014: 第3ラウンド (3 - 4 マーク・ウェブスターに敗北)
  • 2015: 準決勝 (2 - 6 フィル・テイラーに敗北)
  • 2016: 準決勝 (3 - 6 エイドリアン・ルイスに敗北)
  • 2017: 準決勝 (2 - 6 マイケル・ヴァン・ガーウェンに敗北)
  • 2018: 準々決勝 (4 - 5 マイケル・ヴァン・ガーウェンに敗北)
  • 2019: 第2ラウンド (2 - 3 ダリウス・ラバナスカスに敗北)
  • 2020: 第1ラウンド (1 - 3 ダリン・ヤングに敗北)
  • 2022: 第2ラウンド (1 - 3 ロブ・クロスに敗北)
  • 2023: 第3ラウンド (0 - 4 ガーウィン・プライスに敗北)
  • 2024: 第4ラウンド (1 - 4 ルーク・リトラーに敗北)
  • 2025: 第2ラウンド (1 - 3 ニック・ケニーに敗北)

メジャーとプレミアのタイトル

ワールド・チャンピオンシップ

優勝回数 (5)

さらに見る 年, チャンピオンシップ ...
チャンピオンシップ 決勝戦の対戦相手 決勝戦のスコア
1998 BDO ワールド・ダーツ・チャンピオンシップ ウェールズの旗 リッチー・バーネット 6 - 5 (set)
1999 BDO ワールド・ダーツ・チャンピオンシップ イングランドの旗 ロニー・バクスター 6 - 5 (set)
2003 BDO ワールド・ダーツ・チャンピオンシップ ウェールズの旗 リッチー・デイヴィズ 6 - 3 (set)
2005 BDO ワールド・ダーツ・チャンピオンシップ イングランドの旗 マーティン・アダムズ 6 - 2 (set)
2007 PDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップ イングランドの旗 フィル・テイラー 7 - 6 (set)
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その他

優勝回数 (15)

さらに見る 年, 大会 ...
大会 決勝戦の対戦相手 決勝戦のスコア
2001 Winmau ワールド・マスターズ フィンランドの旗 ヤルコ・コムラ4 - 2 (set)
2001 ファインダーダーツ・マスターズ イングランドの旗 アンディ・フォーダム 5 - 1 (set)
2003 インターナショナル・ダーツリーグ イングランドの旗 マーヴィン・キング 8 - 5 (leg)
2003 ワールドダーツ・トロフィー イングランドの旗 マーヴィン・キング 6 - 2 (set)
2003 ファインダーダーツ・マスターズ イングランドの旗 マーヴィン・キング 6 - 1 (set)
2004 インターナショナル・ダーツリーグ オーストラリアの旗 トニー・デヴィッド 13 - 5 (leg)
2004 ワールドダーツ・トロフィー イングランドの旗 マーティン・アダムズ 6 - 4 (set)
2004 ファインダーダーツマスターズ イングランドの旗 テッド・ハンキー 5 - 1 (set)
2005 Winmau ワールド・マスターズ スウェーデンの旗 ヨーラン・クレッメ7 - 3 (set)
2006 UKオープン ウェールズの旗 バリー・ベイツ 13 - 7 (leg)
2006 インターナショナル・ダーツリーグ イングランドの旗 コリン・ロイド 13 - 5 (leg)
2007 ラスベガス・デザート・クラシック イングランドの旗 テリー・ジェンキンス 13 - 6 (leg)
2007 UKオープン オランダの旗 ヴィンセント・ファン・デル・フォールト 16 - 8 (leg)
2012 グランドスラム・オブ・ダーツ オランダの旗 マイケル・ヴァン・ガーウェン 16 - 14 (leg)
2014 プレミア・リーグ・ダーツ オランダの旗 マイケル・ヴァン・ガーウェン 10 - 6 (leg)
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脚注・参照

外部リンク

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