第4代ダイザート伯爵(英語版)ライオネル・トルマッシュ(英語: Lionel Tollemache, 4th Earl of Dysart KT、1708年5月1日 – 1770年3月10日)は、スコットランド貴族。1712年から1727年までハンティングタワー卿の儀礼称号を使用した[1]。
ハンティングタワー卿ライオネル・トルマッシュ(Lionel Tollemache, Lord Huntingtower、1682年6月6日 – 1712年7月26日、第3代ダイザート伯爵ライオネル・トルマッシュ(英語版)の息子)とヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ(Henrietta Cavendish、1718年1月11日没、第2代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの庶出の娘)の息子として、1708年5月1日にヘルミンガム(英語版)で生まれた[1]。
1727年2月23日に父方の祖父が死去すると、ダイザート伯爵の爵位を継承した[1]。
1743年3月29日、シッスル勲章を授与された[1]。
1770年3月10日に死去、27日に埋葬された[1]。息子ライオネルが爵位を継承した[1]。
1729年7月22日、グレース・カートレット(Grace Carteret、1713年7月8日 – 1755年7月23日、第2代グランヴィル伯爵ジョン・カートレットの娘)と結婚、9男7女をもうけた[2][3]。
- 男子(1730年5月21日 – 1730年5月21日) - 夭折[3]
- ライオネル(1731年3月15日 – 1731年3月16日[3])
- グレース(1732年4月9日 – 1736年5月10日[3])
- ハリエット(1733年8月2日 – 1733年8月8日埋葬[3])
- ライオネル(1734年8月 – 1799年2月20日) - 第5代ダイザート伯爵[3]
- メアリー(1736年3月12日 – 1744年8月14日[3])
- 男子(1737年6月24日 – ?) - 早世[3]
- フランシス(Frances、1738年頃 – 1807年12月18日) - 生涯未婚[3]
- ウィルブラハム(1739年10月21日 – 1821年3月9日) - 第6代ダイザート伯爵[3]
- 男子(1740年10月7日 – ?) - 早世[3]
- キャサリン(1741年 – 1751年5月24日[3])
- ジョージ(1744年3月14日 – 1760年11月13日) - 海軍軍人。リスボンに向かう途中、軍艦から落ちて溺死[3]
- ルイーザ(1745年7月2日 – 1840年9月22日) - 第7代ダイザート女伯爵[3]
- ジェーン(1750年3月26日 – 1802年8月28日) - 1771年10月23日、ジョン・ディラップ・ハリデイ(John Delap Halliday、1749年9月29日 – 1794年10月24日)と結婚、子供あり。1802年3月4日、ジョージ・デイヴィッド・フェリー(George David Ferry)と再婚
- ジョン(1750年3月30日 – 1777年9月25日) - 海軍軍人、スループ船ゼブラ(英語版)艦長。ラウザー・ペニントン(英語版)(後の第2代マンキャスター男爵)との決闘で死去。1773年12月3日、ブリジット・ヘンリー(Bridget Henley、1796年3月13日没、初代ノーティントン伯爵ロバート・ヘンリーの娘)と結婚、1男ライオネル・ロバート(1774年11月10日 – 1793年7月14日、陸軍軍人、生涯未婚のまま戦死)をもうけた[3]
- ウィリアム(1751年2月22日 – 1776年12月16日) - 海軍軍人。大西洋でハリケーンに遭って行方不明
Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 564.
Paul, James Balfour, Sir, ed. (1906). The Scots Peerage (英語). Vol. III. Edinburgh: David Douglas. pp. 407–411.