ヨハン・ゲオルク・フォン・ブロウネ=カミュ(Johann Georg von Browne-Camus 1767年9月20日 - 1827年1月)は、第3代ブロウネ・オブ・カミュ伯爵、ロシア帝国軍大佐及びマルタ騎士団の騎士。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの重要なパトロンの1人で、オーストリア帝国でロシアの代理人を務めた。
ロシア帝国元帥ジョージ・ブラウンの息子として生まれる。両親より広大な領地を相続しており、1794年または1795年に妻とともにウィーンへ移り住むとベートーヴェンを支援するようになる。ベートーヴェンはブロウネ=カミュを「わが芸術の最高の愛護者」と呼び[1][2][注 1]、弦楽三重奏曲 作品9(1798年)、ピアノソナタ第11番 作品22(1800年)、『ゲレルトの詩による6つの歌曲』作品48(1803年)を献呈している。妻のマルガレーテもベートーヴェンのパトロンであり、彼女に捧げられた作品も数曲ある[2]。
しかし、贅沢な暮らしとナポレオン戦争の結果、財産を失い健康を害してしまう。精神衰弱に陥り精神病院に収容されると、そのままこの世を去った。
家系
1790年8月22日、枢密顧問官のオットー・ヘルマン・フォン・フィーティングホフ(1722年 - 1792年)と伯爵令嬢アンナ・ウルリケ・フォン・ミューニヒ(1741年 - 1811年)の娘であるアネッテ・マルガレーテ・フォン・フィーティングホフ=シール(1769年1月12日-1803年5月13日)と結婚。2人の間には息子のモーリッツ・フォン・ブロウネ(1797年または1798年 - 1820年)が生まれている。ヨハン・ゲオルクの死により彼の血筋は途絶えた。
脚注
参考文献
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