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ボヘミア系とされるドイツの作曲家 ウィキペディアから
ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー(Johann Caspar Ferdinand Fischer, 1656年9月6日[注釈 1] - 1746年8月27日)は、ドイツ盛期バロック音楽の作曲家。
どうやらボヘミア系であったらしいが、生涯については大まかなことしか分かっていない。最初の作品は1682年に出版され、1690年までにはザクセン=ラウエンブルク公の宮廷楽長となっていた。ついで1695年までにバーデン=バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルムの宮廷楽長になり、ラシュタットにて没するまでその地位にあった。
フィッシャーの作品のほとんどは、たとえば管弦楽組曲『春の日誌Le journal du printems 』(1695年)が示しているように、ジャン=バティスト・リュリによって実現されたフランス・バロック音楽の影響を示している。
20曲のプレリュードとフーガおよび5曲のリチェルカーレからなるオルガン曲集『アリアドネ・ムジカ 』(1702年出版[注釈 2])は、19の調性とホ調のフリギア旋法が使われており、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の重要な先駆的作品とみなされている[1][2]。『平均律クラヴィーア曲集』の中には、『アリアドネ・ムジカ 』のフーガの主題をそのまま借用したようなものも見られる[1]。
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