トップQs
タイムライン
チャット
視点
ユーゴスラビア・ディナール
ウィキペディアから
Remove ads
ディナール(динар/dinar)とは、3つのユーゴスラビア(ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国)の通貨。ディナールの補助単位はパラ(пара/para)で、1ディナールは100パラ。
![]() | この記事はセルビア語版、ボスニア語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2025年5月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
Remove ads
ユーゴスラビアの経済政策によってディナールは常に高いインフレーションに悩まされ、通貨単位を切り下げるデノミネーションが1944年以降の50年弱の間に6回も行われ、うち5回が1990年 - 1994年のハイパーインフレーション時に行われている。8つのディナールには、それぞれ異なった名前とISO 4217コードが与えられている。
Remove ads
言語
連邦が崩壊した1990年初頭までは、ユーゴスラビアには4つの公用語があった。各言語での表記は以下の通り。
歴史
要約
視点
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
1918年の(セルビア)ディナール, YUS, 1918 - 1941
ディナールは、元々セルビアの通貨だった。1918年にセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が成立。クローネ(1ディナール = 4クローネ)と共にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに流通することになった。セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名で硬貨と紙幣発行されたのは1920年からで、それまではセルビア王国の硬貨と紙幣が流通していた。1929年には国号がユーゴスラビアに変わり、通貨に書かれる名前も改められた。
1931年、為替レートが1アメリカ・ドル = 56.4ディナールと定められた。このレートは、1933年には44ディナールに変更された。1937年、旅行者向け為替レート250ディナール = 1イギリス・ポンドが確立された。1941年に、ユーゴスラビアからクロアチア独立国(ナチスの傀儡国家)が独立を宣言。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域ではディナールと等価のクーナが発行され、ユーゴスラビアを占領したブルガリアのレフ、イタリアのリラ、ドイツのライヒスマルクもこれら地域で流通した。
1944年の(連邦)ディナール, YUF, 1944 - 1965
1944年、ユーゴスラビアは再結成されると、セルビア・ディナール、クロアチア・クーナや占領国の通貨に代わって、ユーゴスラビア・ディナールが登場した。交換レートは、1ユーゴスラビア・ディナール = 20セルビア・ディナール = 40クーナ。1945年5月には、50ディナール = 1米ドルの固定レートが設定されたものの、レートが維持されることはなかった。
1966年の(ハード)ディナール, YUD, 1966 - 1989
1966年1月1日、通貨が100分の1に切り下げられた。この通貨は決して安定していたわけではなく、年15 - 25%のインフレーションに悩まされた[1]。1980年代、インフレ率の上昇は加速し1990年にデノミネーションが行われた。
1990年の(兌換)ディナール, YUN, 1990 - 1992
![]() |
二回目の通貨切り下げは、1990年1月1日に行われ、通貨が1万分の1に切り下げられた。この頃、構成国の多くはユーゴスラビア社会主義連邦共和国から脱退しようとしていた。6つの共和国のうち4国は、独立を宣言し独自の通貨を発行し始めた。この通貨は、「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と複数の言語で記された最後の通貨となった。
クロアチアのセルビア人勢力支配地域やボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人勢力支配地域では、それぞれユーゴスラビア・ディナールと等価のクライナ・ディナールとスルプスカ・ディナールが流通していた。
1992年の(改正)ディナール, YUR, 1992 - 1993
3回目の通貨切り下げは、1992年7月1日に行われ、通貨が10分の1に切り下げられた。この頃からユーゴスラビア紛争勃発に伴う経済状況の悪化やさまざまな制裁処置によりハイパーインフレーションが始まった。このディナールは崩壊後のユーゴスラビア連邦(今日のセルビアとモンテネグロ)中央銀行から発行された。
1993年の(十月)ディナール, YUO, 1993
4回目の通貨切り下げは、1993年の10月1日に行われ、通貨が100万分の1に切り下げられた。このデノミでもハイパーインフレーションは収束せず、通貨は3ヶ月しか持たなかった。
1994年のディナール, YUG, 1994
5回目の通貨切り下げは、1994年1月1日に行われ、通貨が10億分の1に切り下げられた。この通貨は、ユーゴスラビア・ディナールの中で最も早く下落し、わずか24日で交換された。
ノビ・ディナール, YUM, 1994 - 2003
1994年1月24日、ノビ・ディナール(キリル文字:нови динар, нових динара。ノビは「新」の意味)が登場した。これはディナール通貨の切り下げではなかった。ノビ・ディナールはドイツ・マルクと等価で固定された。ノビ・ディナールの登場した日、ドイツ・マルクと1994年のディナールの相場は1 マルク = 1300万ディナールだった。新通貨に固定されていないにもかかわらず、1994年のディナールの相場は下落せず、大体 1YUM = 1200万YUG だった[2]。ちなみに、1990年以前のディナールと比較すると、1 YUM = 1200𥝱 (1.2×1027) YUDである。「ノビ」は2000年に外された。
終焉
1999年11月6日、モンテネグロはユーゴスラビア・ディナールに加えてドイツ・マルクも法定通貨だと決定した。2000年11月13日には、ディナールは法定通貨から外れドイツ・マルクが唯一の法定通貨となった。2003年、ユーゴスラビアが消滅し、最後までユーゴスラビア・ディナールを使用していたセルビアがセルビア・ディナール(ユーゴスラビア・ディナールと等価)に切り替え、ユーゴスラビア・ディナールの歴史は幕を閉じた。末期の1ディナールは初期の120,000,000,000,000,000,000,000,000,000ディナール(12穣)。
Remove ads
硬貨
要約
視点
1918年のディナール
1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名の刻まれた硬貨が初めて発行された。5パラ(亜鉛)、10パラ(亜鉛)、25パラ(ニッケル青銅)硬貨である。1925年には、50パラ(ニッケル青銅)、1ディナール(ニッケル青銅)、2ディナール硬貨(ニッケル青銅)が登場した。1931年からは、硬貨にはユーゴスラビアの名が刻まれ、10ディナール(銀)、20ディナール(銀)硬貨が登場。1932年には、50ディナール(銀)硬貨が登場。
1938年、50パラ(アルミニウム青銅)、1ディナール(アルミニウム青銅)、2ディナール(アルミニウム青銅)と10ディナール(ニッケル)と大きさを小さくした20ディナール、50ディナール銀貨が発行された。これらが、第二次世界大戦前に発行された最後の硬貨である。
1944年のディナール
1945年、50パラ、1ディナール、2ディナール、5ディナール硬貨(いずれも亜鉛)が発行された。1953年にはこれらはアルミニウム製に切り替わった。1955年、10、20、50ディナール(アルミニウム青銅)が加わった。
1966年のディナール
1966年、5、10、20、50パラ(いずれも黄銅)と、1ディナール(銅ニッケル、1965年付)が発行された。1971年には、2、5ディナール(ニッケル黄銅)が発行され、1976年には10ディナールが銅ニッケル製に変わった。1981年には20パラ以下の硬貨が発行停止され、翌年には25、50パラ(青銅)が発行される。しかし、1985年には10ディナール未満の硬貨が発行停止され、黄銅製の10、20、50、100ディナール硬貨が発行された。これら硬貨は1989年まで発行されていた。
1990年のディナール
1990年、10、20、50パラ、1、2、5、ディナール硬貨が発行される。しかし、2、5ディナール以外は1991年に発行停止された。2、5ディナール硬貨についても1992年は少数発行されただけである。
1992年のディナール
1992年、1、2、5、10、50ディナールが発行された。5ディナールまでは黄銅、10、50ディナールはニッケル黄銅である。硬貨にはユーゴスラビアと刻まれていた(ラテンアルファベットでJugoslavija、キリル文字でЈугославија)他は、装飾のない酷く簡単なものだった。
1993年のディナール
1993年、1、2、5、10、50、100ディナールが発行された。これらは全てニッケル黄銅製である。500ディナール硬貨も鋳造されたが、発行されなかった。これらの硬貨は、"FR Yugoslavia"(ラテンアルファベットでSR Jugoslavija、キリル文字でСР Југославија)と刻まれていた以外、5番目のディナールとよく似ていた。
1994年のディナール
超短期間しか用いられなかったこのディナールでは、1ディナール黄銅貨が発行されたのみである。
ノビ・ディナール
1994年、1、5パラ(黄銅)と10、50パラ、1ノビ・ディナール(ニッケル黄銅)が発行された。2000年には「ノビ」の字が除去され、新しく50パラ、1、2、5ディナール(黄銅)が発行された。
紙幣
→詳細は「ユーゴスラビア・ディナールの紙幣」を参照
関連項目
- セルビア・ディナール
- ハイパーインフレーション
- ユーゴスラビアの経済
参考文献
- Krause, Chester L.; Clifford Mishler (1991). Standard Catalog of World Coins: 1801–1991 (18th ed.). Krause Publications. ISBN 0873411501。
- Pick, Albert (1994). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (7th ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-207-9
- Pick, Albert (1996). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues to 1960. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (8th ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-469-1
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads