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ユリウス・エヴォラ(Julius Evola、1898年5月19日 - 1974年6月11日)は、イタリアの哲学者、政治思想家、神秘思想家、形而上理論家、画家。近年、特に21世紀に入ってから英訳が急ピッチに進んだ。
ローマで生まれた。シチリア系の男爵家の出身。ローマで工学を学ぶが失望し、それに代わって哲学に没頭した。ドイツ語やヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、フリードリヒ・シェリングといったドイツ観念論を修める[1]。とりわけオットー・ヴァイニンガー、マックス・シュティルナー、フリードリヒ・ニーチェ、ゴータマ・ブッダ、ジョルジュ・ソレル、ルネ・ゲノン、ジョゼフ・ド・メーストルは心骨に至るほどの感化をもたらす。のちにエヴォラは20代の時に自殺を考えたがブッダによって命を救われたという[2]。
第一次世界大戦中は砲兵としてアジアーゴに駐兵。戦後、トリスタン・ツァラやフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティに感銘を受け、未来派やダダイズムに参加。やがてエヴォラはファシズム運動に参加、この頃からエヴォラは多くの書物を著しはじめる。ルーマニアの鉄衛団のシンパだったミルチャ・エリアーデはエヴォラの著書を読了して感慨を受け、両者は終生続く親交を結ぶ[1]。
厳格なカトリックの家門出身だったエヴォラはカトリシズムを捨て古代の異教を理想とし、秘教、魔術、オカルト、錬金術、密教、神秘主義思想を追い求め、近代システム、民主主義、フランス革命、近代世界を否定[1]、さらにレイシズム、オカルティズム、ファシズム、エソテリシズムを根幹にすえて独自の神秘主義的アーリア至上主義に基づいた新帝国の建国を唱えた。
1941年に刊行されたスピリチュアルレイシズムを背景とした優生思想の書『Sintesi di Dottrina della Razza』を刊行、本書を読んだベニート・ムッソリーニは賞賛、すぐさま本書はドイツ語に訳された。これによりエヴォラはイタリアにおける人種論のイデオローグになった。エヴォラはムッソリーニにより招かれて意見交換をおこない、それからムッソリーニの援助で人種論機関誌『Sangue e Spirito』を立ち上げた。
イタリアでファシスト政権が崩壊するとドイツに亡命したが1945年にソビエト赤軍の空爆によって負傷、後遺症が残った[1]。戦後、エヴォラは逮捕されたが最後まで転向を拒否、ネオファシズムの中心的唱導者としてイタリアで大いに影響力を誇った。ローマのアパートで病によって絶命。エヴォラは生涯を独身で貫き、子供もいなかった。
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