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サーサーン朝ペルシア最後の王 ウィキペディアから
ヤズデギルド3世(? - 651年)は、サーサーン朝ペルシア帝国38代目かつ最後の王(在位:632年 - 651年)。
第24代君主のホスロー2世の孫で、父はシャフリヤール。当時のサーサーン朝は内乱と洪水などの天災で疲弊していた。
イスラム勢力(正統カリフ)の勃興でメソポタミアを奪われる。宿将のロスタム・ファルロフザードを最高司令官に任命してムスリム軍と対決するが、636年にイラクで起きたカーディシーヤの戦いでサーサーン朝軍は大敗してロスタムは戦死する。帝都クテシフォンはムスリム軍に包囲されて陥落した。ヤズデギルド3世はクテシフォン奪還の軍を起こすが、642年にニハーヴァンドの戦いで大敗すると、国勢は更に傾く。644年にはイスラム勢力に領土を蚕食され、東方のケルマーンなどに逃亡。651年にホラーサーンのメルヴへ逃れるも、同地で総督の裏切りにあって殺害され、サーサーン朝は滅亡した。
ヤズデギルド3世の息子ペーローズ3世をはじめとする皇族たちはパミール高原を越えて唐に亡命して対抗し続けたが、サーサーン朝復興を果たすことはできなかった。
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