ヤコブス・ファン・ローイ

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ヤコブス・ファン・ローイ

ヤコブス・ファン・ローイ(Jacobus van Looy、1855年9月12日 - 1930年2月24日)は、オランダの画家である。オランダの印象派の第2世代の画家の一人で、作家、翻訳家としても活動した。

概要 ヤコブス・ファン・ローイJacobus van Looy, 生誕 ...
ヤコブス・ファン・ローイ
Jacobus van Looy
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自画像
生誕 (1855-09-12) 1855年9月12日
ハールレム
死没 1930年2月24日(1930-02-24)(74歳没)
ハールレム
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略歴

ハールレムで大工の息子に生まれるが、5歳の時、両親が相次いで亡くなり、ハールレム市の孤児院で育てられた。孤児院で塗装職人になる訓練を受けた時に絵の才能を見いだされ、アムステルダムの王立美術アカデミー(Académie royale des beaux-arts d'Amsterdam)で学ぶことができた。美術アカデミーは後にアムステルダム印象派のメンバーとなる画家、写真家のウィレム・ウィッセン(Willem Witsen: 1860-1923)と親しくなった。

1884年に、留学奨学金の得られるオランダの「ローマ賞」を受賞し[1]、イタリアやスペイン、モロッコを旅した。アムステルダムに戻った後、1894年に製紙業を営む実業家の娘と結婚しドイツのゾーストで暮らした。

1901年に再びモロッコへ旅し、1913年にハールレムに戻った。この年ファン・ローイが育った孤児院は改装されてフランス・ハルス美術館となり、開館している。ハールレム南部のHaarlemmerhout公園近くに家を買い、そこで暮らした。

画家としてはアムステルダムの美術家団体「Arti et Amicitiae(芸術と友情)」の展覧会やアムステルダムやハーグなどで持ち回りで開催される展覧会、「現代名匠展(Tentoonstelling van Levende Meesters)」に出展し、1901年に回顧展を開いたが、あまり評判にならず、その後展覧会へのへの出展を止めた。

作家としては文芸雑誌『De Nieuwe Gids』に作品が掲載され、1900年ころには人気のある作家になり、自伝的な作品、『Jaapje』、『Jaaen』、『 Jakob』の連作などで知られている。

1930年にハールレムで没した。1948年から1976年までハールレムの邸は「ルーイの家(Huis van Looy)」として美術館として公開された。閉館後にに、美術館のファン・ルーイの大部分の作品と文献はフランス・ハルス美術館に寄贈された[2]。1985年にヤコブス・ファン・ローイ賞が創設され、5年ごとに美術と文学の両方に貢献した芸術家に授与されている。[3]

絵画作品

文学作品

脚注

参考文献

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