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ミャゼディ碑文(ミャゼディひぶん、ビルマ語: မြဇေတီ ကျောက်စာ)は、ミャンマーのバガン近郊で発見された石碑で、四面のそれぞれにパーリ語、ピュー語、モン語、ビルマ語で碑文が刻まれている。ビルマ語最古の碑文として有名である。
「ミャゼディ」とは、エメラルド(ミャ)のストゥーパ(ゼーディー)という意味で、バガンの南のミンカバー村にある同名のパゴダ付近で発見されたため、この名がある。ほとんど同じ内容の碑文が2つあり、1つめはスイスの考古学者でラングーン大学のパーリ語教授であったエーミール・フォルヒハマーによって1886-87年に、2つめは1904年に発見された。それぞれミャゼディ・パゴダとバガン考古学博物館に置かれている。
パガン王朝第3代の王であるチャンシッターの最晩年に、王子のラージャクマール(ヤーザクマー)によって造られた。一般には1112年[2]か1113年に作られたとされる。これは碑文の中でチャンシッターの即位を仏暦1628年とし、王が28年在位したと述べていることを根拠にしている。
ピュー語以外のパーリ語・モン語・ビルマ語の3つの言語は、基本的に同じ文字で書かれている[2]。現在のビルマ文字は円を基本にして構成されているが、ミャゼディ碑文の文字は角ばっていて、現在のビルマ文字とは大きく異なる。
ミャゼディ碑文はピュー語の解読のために重要な役割を果たした。
チャンシッター王の死にのぞんで、ラージャクマールが黄金の仏像を造って王にささげたこと、寺院を建てて3つの村を寄進したことを記す。
ここで言われている寺院とは、ミャゼディ・パゴダの西隣にあるグービャウッジー寺院のことと考えられている[3]。
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