ミズリー

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ミズリー」(Misery)は、ビートルズの楽曲である。1963年に発売された1作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』に収録された。ジョン・レノンポール・マッカートニーの共作(名義はレノン=マッカートニー)で、レノンは「ポールというよりジョンっぽい曲…というところかな。でも一緒に書いたんだ」[2]とし、マッカートニーは「共同作曲。誰かのために曲を作るという、雇われと言っても差し支えないような仕事だった」[3]と語っている。

概要 「ミズリー」, ビートルズの楽曲 ...
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1963年にケニー・リンチ英語版によるカバー・バージョンが発売され、ビートルズの楽曲が初めてカバーされた例となった[1]

背景

1963年2月、ビートルズはヘレン・シャピロと共にツアーを行なっていた。シャピロのマネージャーであるノリー・パラマー英語版は、テネシー州ナッシュビルでレコーディングを予定しているアルバムのための新曲を求め、ビートルズに楽曲提供を依頼した[4]。1963年1月26日にストーク=オン=トレントのキングス・ホールで行なわれた公演の前に楽屋で「ミズリー」の作曲が開始され、その後フォースリン・ロードのマッカートニーの自宅で完成した[3]。マッカートニーは「僕らはこれを『ミズリー』と呼んでいるけど、響きほどスローじゃなく、かなりの勢いで進んでいくし、ヘレンはかなり良い仕事をしてくれると思う」と語っている[5]

しかし、パラマーは本作を却下し[1]、代わりに同じくツアーに同行していたケニー・リンチ英語版が本作を録音することとなった[6]。マッカートニーは、「ヘレン・シャピロのために書いたけど、歌ってもらえなかった。『the world is treating me bad, misery(世界中が私につらくあたるの…みじめだわ)』なんて曲は、彼女には合わなかったのかもしれない。とても悲観的な曲さ。でもケニー・リンチはもらってくれた。ケニーとはよく一緒にツアーで回ってて、その時に歌ってくれた。彼の地味なヒット曲になったよ」と語っている[7]。リンチによる「ミズリー」は、ビートルズの楽曲が初めてカバーされた例となった[1][3][6]が、シングルチャート入りすることはなかった[8]

レコーディング・リリース

ビートルズは、1963年2月11日にアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』に収録の全14曲のうち、既にシングル曲として発売された4曲を除く10曲のレコーディングを10時間のセッションで行なっていた[9]。「ミズリー」は、同日のセッションで11テイクで録音された[9]。その9日後にあたる2月20日、ジョージ・マーティンは、テープを半分のスピードで再生してイントロとブリッジにピアノのパートを加えた[9]

イギリスで1963年3月22日にパーロフォンからアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が発売され、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」と「アンナ」の間にあたるA面2曲目に収録された[10]。アメリカでは、1963年7月22日にヴィージェイ・レコードから発売された『Introducing... The Beatles』のA面2曲目に収録された後[11]、1964年3月23日に発売されたEP『The Beatles』のA面1曲目[11]に収録された。2013年に発売された『オン・エア〜ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2』には、1963年3月12日にBBCラジオで放送された『Here We Go』での演奏が収録された[12]

音楽評論家のイアン・マクドナルド英語版は、「思春期の自己憐憫を描いたおどけた作品」と評している[13]

クレジット

※出典[14]

カバー・バージョン

前述のとおり、1963年にケニー・リンチ英語版によるカバー・バージョンが発売された。

1976年にフレイミン・グルーヴィーズが、アルバム『Shake Some Action』でカバー[15]

2003年にペテル・リパ英語版が、アルバム『Beatles in Blue(s)』でカバー[16]

脚注

参考文献

外部リンク

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