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版画家 ウィキペディアから
マーティン・ドルーシャウト(Martin Droeshout)は、イングランドのフランドル系版画家。1623年のウィリアム・シェイクスピアの作品集『ファースト・フォリオ』のタイトル肖像画を作ったことで知られる。
マーティン・ドルーシャウトなる人物は2人いたことから、正確な身元は明らかではない。伝統的には小マーティン・ドルーシャウト(Martin Droeshout the Younger, 1601年生)が版画家と考えられていたが、近年の研究では彼のおじ大マーティン・ドルーシャウト(Martin Droeshout the Elder, 1560年代 - 1642年ごろ)であるとする説が有力となった。
殆どの資料は、版画家はブリュッセルからの移民ミヒェル・ドルーシャウト(Michael Droeshout)の息子小マーティン・ドルーシャウトだったと述べている。誕生日と出身地を除き、小マーティンについて確かな事は知られていないが、父が版画家であったため、それを継いでシェイクスピアの肖像を彫ったと考えられる。驚くべきことにシェイクスピアの死亡時にドルーシャウトはまだ15歳であったが、そのシェイクスピアの肖像画はベン・ジョンソンに「生き写し」(true to life)と言わせた。彼が本当にシェイクスピアに会っていたとしても、作品は記憶からではなく、失われたシェイクスピアの絵から作られたと考えられる。この肖像画が作られたのは小ドルーシャウトがわずか22歳という非常に若い頃の作品である。
しかしながら、メアリ・エドモンズによるドルーシャウト家への調査により、小マーティン・ドルーシャウトのおじ大マーティン・ドルーシャウトの情報が明らかになった。大ドルーシャウトはPainter-Stainer's Companyの一員で、彼も版画家であった可能性が示された。エドモンズの著書によると
エドモンズはまた大ドルーシャウトが肖像画家マークス・ヘラート(Marcus Gheeraerts)と関係をもっていたことを指摘し、ヘラートによるシェークスピアの肖像画がかつて存在した証拠を示し、ドルーシャウトの版画はその失われた肖像画からではないかと推測した(p. 344)。
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