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アルメニアのサッカー選手 ウィキペディアから
マルコス・ピニェイロ・ピッゼーリ(ポルトガル語: Marcos Pinheiro Pizzelli、アルメニア語: Մարկոս Պինեյրո Պիզզելլի、1984年10月3日 - )は、ブラジル・サンパウロ州ピラシカーバ出身の元サッカー選手。元アルメニア代表。現役時代のポジションはMF、FW。
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クバン・クラスノダールでのマルコス (2012年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
マルコス・ピニェイロ・ピッゼーリ Marcos Pinheiro Pizzelli | |||||
アルメニア語 | Մարկոս Պինեյրո Պիզզելլի | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ブラジル アルメニア | |||||
生年月日 | 1984年10月3日(40歳) | |||||
出身地 | ブラジル・サンパウロ州ピラシカーバ | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2005 | サン・カルロス | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2008 | アララト・エレバン | 78 | (44) | |||
2008-2009 | → イシー (loan) | |||||
2009-2011 | ピュニク・エレバン | 49 | (31) | |||
2011-2012 | メタルルフ・ドネツィク | 18 | (4) | |||
2012-2013 | クバン・クラスノダール | 31 | (8) | |||
2013-2014 | クラスノダール | 6 | (0) | |||
2014 | → アクトベ (loan) | 28 | (8) | |||
2015-2016 | アクトベ | 27 | (5) | |||
2016 | アル・ラーイド | 13 | (4) | |||
2016-2017 | アル・フジャイラ | 0 | (0) | |||
2017 | クサンティ | 10 | (0) | |||
2017-2018 | アル・シャバブ | 15 | (3) | |||
2018-2019 | アクトベ | 35 | (20) | |||
2019-2020 | アララト・エレバン | 0 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2008-2019 | アルメニア | 65 | (11) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1984年にブラジルのサンパウロ州ピラシカーバにて生まれ、2000年から2005年にサン・カルロスFCの下部組織で育った。2006年にアルメニア・プレミアリーグ(アルメニア1部)のFCアララト・エレバンにスカウトされて移籍[1]したマルコスは、4月30日のウリセスFC戦でティグラン・イェサヤンとの交代によって58分から初出場、6月16日のウリセス戦で初得点を挙げ、以来、1年目は適応に焦点を当てていたこともあり、5得点に終わったが、翌2007年シーズンにはリーグ戦22得点、2008年シーズンは17得点を挙げ、2年連続で得点王に輝いた[2]。しかし、絶頂期の中、クラブの財務上の問題から[3]、2009年1月にフランスアマチュア選手権2(フランス5部)のASAイシーへ期限付き移籍に出された[4]。
2009年夏に契約満了となったことにより、7月に自由移籍でFCピュニク・エレバンと長期契約をする[1]。ピュニク・エレバンでは、リーグとアルメニア・インデペンデンスカップの2冠を2シーズン連続で達成し、2010年シーズンはアルメニア・スーパーカップを獲得する等、多くのタイトルに恵まれ、また、自身は2010年シーズンにゲヴォルグ・ガザリャンと共に16得点を挙げて3度目となる得点王を獲得している。なお、同シーズン第10節にはリーグ通算100試合目に到達した[2]。2011年シーズンに6得点を挙げた後、移籍した。
2011年6月に同僚のガザリャンと共にウクライナ・プレミアリーグ のFCメタルルフ・ドネツィクへ移籍する[5]。メタルルフでは、FCチョルノモレツ・オデッサ戦で初得点を挙げて以来、18試合4得点とアルメニアリーグ時代と比較して振るわなかったが、これはヴォロディミル・ピャテンコ監督が従来のセンターフォワードではなく、攻撃的MFのポジションにおいた事も一つの要因であった[3]。
アルメニア代表としてロシア戦でのプレーを偶然観戦していたロシア・プレミアリーグ (ロシア1部)のFCクバン・クラスノダールを率いるダン・ペトレスク監督によって見出され[6]、2012年1月13日に3年契約で移籍をした[7]。3月18日のFCルビン・カザン戦で初得点を挙げて勝利に貢献。5月には、2度目となるクラブの月間最優秀選手に選出された[8]。
2013年5月27日、クバン・クラスノダールと同じくクラスノダールを本拠地とするFCクラスノダールに2+1契約で移籍をする[9]。加入から半年後の2014年1月にカザフスタン・プレミアリーグ (カザフスタン1部)のFCアクトベへ期限付き移籍に出された[10]。
2014年10月にFCクラスノダールからFCアクトベに完全移籍を果たす[11]。
2016年1月18日、サウジ・プロフェッショナルリーグのアル・ラーイドに移籍した[12]。
2016年6月27日、アラビアン・ガルフ・リーグのアル・フジャイラに移籍した[13]。
2018年2月13日、FCアクトベに復帰したことが発表された[14]。
2019年12月31日、FCアララト・エレバンに復帰したことが発表された[15]が、2020年1月11日に怪我のため現役引退を表明した[16]。
2008年5月にアルメニアの国籍を取得する。28日のモルドバ代表との親善試合 (2-2)でアルメニア代表初出場及び初得点を記録[17]する成功を収めたが、同年は2試合の出場にとどまった。しかし、クラブでの活躍から注目を集め、2009年8月12日に再招集されてからは定期的に招集されるようになり、2010年10月8日のUEFA EURO 2012予選スロバキア戦でユーラ・モフシシャンの得点をアシスト、数日後のアンドラ戦 (4-0)で代表通算2得点目を挙げると、同予選では、ロシア戦 (1-3)、2度目のアンドラ戦 (3-0)、マケドニア戦 (4-1)でも得点を挙げた。
2019年、アルメニア代表を引退した。
ブラジルで出会った獣医師と2008年に結婚しており[1]、結婚前に一緒にアルメニアへ渡っている[19]。
生まれ故郷のポルトガル語以外にもアルメニア語、英語で会話することが出来、ロシア語を学ぶ等、語学に堪能なマルコスは、ブラジルよりもアルメニアを身近に感じており、サッカー選手として成長させてくれたアルメニアに感謝を述べている[20]。
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 国際大会 | その他 | 合計 | |||||||
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所属リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
アララト・エレバン | 2006 | アルメニア・プレミアリーグ | 24 | 5 | - | - | - | 24 | 5 | |||||
2007 | 26 | 22 | - | - | - | 26 | 22 | |||||||
2008 | 28 | 17 | - | 2 | 0 | - | 30 | 17 | ||||||
合計 | 78 | 44 | - | - | 2 | 0 | - | - | 80 | 44 | ||||
イシー (loan) | 2008–09 | フランスアマチュア選手権2 | – | – | ||||||||||
ピュニク・エレバン | 2009 | アルメニア・プレミアリーグ | 12 | 9 | - | 2 | 0 | - | 14 | 9 | ||||
2010 | 26 | 16 | 4 | 3 | - | 2 | 0 | - | 32 | 19 | ||||
2011 | 11 | 6 | 0 | 0 | - | - | - | 28 | 16 | |||||
合計 | 49 | 31 | - | - | 4 | 0 | - | - | 53 | 31 | ||||
メタルルフ・ドネツィク | 2011–12 | ウクライナ・プレミアリーグ | 18 | 4 | 1 | 0 | – | – | – | 19 | 4 | |||
クバン・クラスノダール | 2011–12 | ロシア・プレミアリーグ | 10 | 3 | 0 | 0 | – | – | – | 10 | 3 | |||
2012–13 | 21 | 5 | 2 | 1 | – | – | – | 23 | 6 | |||||
合計 | 31 | 8 | 2 | 1 | - | - | - | - | - | - | 33 | 9 | ||
FCクラスノダール | 2013–14 | ロシア・プレミアリーグ | 6 | 0 | 2 | 2 | – | – | – | 8 | 2 | |||
アクトベ (loan) | 2014 | カザフスタン・プレミアリーグ | 28 | 8 | 5 | 2 | – | 5 | 0 | 1 | 0 | 39 | 10 | |
アクトベ | 2015 | 27 | 5 | 3 | 1 | – | 2 | 0 | – | 32 | 6 | |||
アル・ラーイド | 2015–16 | サウジ・プロフェッショナルリーグ | 13 | 4 | 2 | 0 | – | – | 2 | 1 | 17 | 5 | ||
アル・フジャイラ | 2016–17 | アラビアン・ガルフ・リーグ | 7 | 4 | – | – | – | 7 | 4 | |||||
クサンティ | 2016–17 | ギリシャ・スーパーリーグ | 10 | 0 | 3 | 0 | – | – | – | 13 | 0 | |||
アル・シャバブ | 2017–18 | サウジ・プロフェッショナルリーグ | 15 | 3 | 1 | 1 | – | – | – | 16 | 4 | |||
アクトベ | 2018 | カザフスタン・プレミアリーグ | 24 | 18 | 1 | 0 | – | – | – | 25 | 18 | |||
2019 | 11 | 2 | 0 | 0 | - | - | - | 11 | 2 | |||||
合計 | 35 | 20 | 1 | 0 | - | - | - | - | - | - | 36 | 20 | ||
キャリア合計 | 317 | 131 | 24 | 10 | - | - | 13 | 0 | 2 | 1 | 356 | 142 |
出典:[22]
アルメニア代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2008 | 2 | 1 |
2009 | 3 | 0 |
2010 | 5 | 1 |
2011 | 8 | 3 |
2012 | 7 | 2 |
2013 | 9 | 0 |
2014 | 6 | 0 |
2015 | 6 | 1 |
2016 | 7 | 1 |
2017 | 7 | 0 |
2018 | 5 | 2 |
通算 | 65 | 11 |
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2008年5月28日 | ティラスポリ | モルドバ | 0-1 | 2-2 | 親善試合 |
2. | 2010年10月12日 | エレバン | アンドラ | 4-0 | 4-0 | UEFA EURO 2012予選 |
3. | 2011年6月4日 | サンクトペテルブルク | ロシア | 0-1 | 3-1 | |
4. | 2011年9月2日 | アンドラ・ラ・ベリャ | アンドラ | 0-1 | 0-3 | |
5. | 2011年10月7日 | エレバン | 北マケドニア | 1-0 | 4-1 | |
6. | 2012年2月29日 | リマソール | カナダ | 1-1 | 1-3 | 親善試合 |
7. | 1-2 | |||||
8. | 2015年6月13日 | エレバン | ポルトガル | 1-0 | 2-3 | UEFA EURO 2016予選 |
9. | 2016年10月11日 | ワルシャワ | ポーランド | 1-1 | 1-2 | 2018 FIFAワールドカップ・予選 |
10. | 2018年9月6日 | エレバン | リヒテンシュタイン | 1-0 | 2-1 | 2018-19 UEFAネーションズリーグD |
11. | 2018年10月16日 | 北マケドニア | 1-0 | 4-0 | ||
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