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マルクス・フォスリウス・フラッキナトル(ラテン語: Marcus Foslius Flaccinator、生没年不詳)は紀元前4世紀の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前318年に執政官(コンスル)を務めた。
パトリキ(貴族)であるフォスリウス氏族の出身。氏族としては唯一の執政官である。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はガイウス、祖父はマルクスである。祖父マルクスは紀元前433年の執政武官マルクス・フォスリウス・フラッキナトルと思われる[1]。
紀元前318年、フラッキナトルは執政官に就任。同僚執政官はルキウス・プラウティウス・ウェンノであった[2]。この年、両執政官はアプリアのテアノ(現在のテアーノ)とカヌシオ(現在のカノーザ・ディ・プーリア)の領土で略奪を行い、両都市を降伏させることに成功している[2]。
紀元前314年、カプアの陰謀を調査するためにガイウス・マエニウスが独裁官(ディクタトル)に任命された、マエニウスはフラッキナットルをマギステル・エクィトゥム(騎兵長官、この場合は副調査官)に指名した[3]。しかしながら、カプアの容疑者の調査が終わると、マニエニウスはローマ市民に対する調査を開始した。するとマエニウスとフラッキナットルは権力濫用と訴えられ、結果辞任することとなった。両者は裁判にかけられたが、見事に自身の無罪を勝ち取った。
紀元前313年、独裁官ガイウス・ポエテリウス・リボ・ウィソルスの騎兵長官に指名される。両者はボウィアヌム(現在のボヤーノ)を包囲していた前年の執政官から、軍を引き継いだ[4]。
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