マリー=ガブリエル=エレオノール・ド・ブルボン
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マリー=アンヌ=ガブリエル=エレオノール・ド・ブルボン(Marie-Anne-Gabrielle-Éléonore de Bourbon, 1690年12月22日 ヴェルサイユ宮殿 - 1760年8月30日 ヴィルジュイフ)[1]は、ブルボン朝時代フランスの女性王族(血統内親王)、女子修道院長。
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コンデ公ルイ3世と妻ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボン(ナント姫)の間の第1子・長女。母はルイ14世王とモンテスパン夫人の間の非嫡出子の1人。宮中ではブルボン姫(Mademoiselle de Bourbon)と称された。最初は母に大切にされたが、3歳年下の妹ルイーズ=エリザベートが生まれると、母のお気に入りの娘の立場はこの妹に移った。1706年5月6日、16歳でフォントヴロー修道院に入り、修道女となった。1723年、パリ市内のサンタントワーヌ=デ=シャン修道院の修道院長に任命された[2][3] 。
引用・脚注
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