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マリーア・イザベッラ・ディ・スパーニャ (Maria Isabella di Spagna, 1789年7月6日 - 1848年9月13日)は、両シチリア王フランチェスコ1世の2度目の妃。スペイン語名はマリーア・イサベル・デ・ボルボン・イ・ボルボン=パルマ(María Isabel de Borbón y Borbón-Parma)。
スペイン王カルロス4世と王妃マリア・ルイーサの四女として、マドリードで生まれた。 実父は宰相マヌエル・デ・ゴドイだと噂されていたため、マリーア・イザベッラは公然と私生児呼ばわりされていた。[1]
1802年7月、マドリードで従兄に当たるフランチェスコ王太子(最初の妃マリーア・クレメンティーナと前年に死別していた)と結婚。なおマリーア・イザベッラの兄フェルナンドはフランチェスコの妹マリーア・アントーニアと結婚している。 姑のマリーア・カロリーナは、自分の子供たちをオーストリア人と結婚させたいと考えており、スペイン・ブルボン家との婚姻に反対していたが、マリーア・カロリーナの反対を押し切って二重結婚が成立した。[2]
夫フランチェスコとの間に12子をもうけた。
夫が1830年に死去した後は9年間未亡人で通したが、1839年1月にバルツォ伯フランチェスコと再婚した。
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