マサダ
イスラエルにある城跡 ウィキペディアから
イスラエルにある城跡 ウィキペディアから
マサダ(ヘブライ語: מצדה[1])は、第一次ユダヤ戦争の遺跡。イスラエル東部、死海西岸近くにある城址である。「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」を意味する。
紀元前120年頃、死海のほとりの砂漠にそびえる切り立った岩山の上に建設され、後にヘロデ大王が離宮として改修した。山頂へは「蛇の道」と呼ばれる細い登山道が一本あるのみ、周囲は切り立った崖で、難攻不落と言われた。
66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が決起しユダヤ戦争が勃発した。70年、ティトゥスの指揮するローマ軍団によってユダヤ側の本拠地であったエルサレムが陥落(エルサレム攻囲戦)。エルアザル・ベン・ヤイルに率いられた熱心党員を中心としたユダヤ人集団967人が包囲を逃れ、マサダに立てこもった。籠城側は兵士のみではなく、女性や子供も含まれていた。
1万5千のローマ軍団が周囲を包囲したが、さすがのローマ軍も、攻撃を寄せ付けないマサダの峻厳な地形に攻めあぐねる。やがてローマ軍はユダヤの捕虜と奴隷を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始する。ユダヤ側は執拗に防戦したが、二年がかりで山腹は着実に埋められ、やがて陥落は目前となった。敗北が確実となったある日、指導者たちは集まって今後の方針を協議した。抵抗を続ければ全員が殺され、降伏すれば全員が奴隷となるのが当時の慣習であり、奴隷となるより死をと、集団自決が選択された。
73年5月2日、ローマ軍部隊は完成した侵入路を通り、城内に突入する。ローマ兵は死にもの狂いの抵抗を予想していたが、突入前夜に城内で決行された集団自決により、防戦する者は1人もなかった。ユダヤ戦記には穴に隠れていた2人の女と5人の子供だけが生きのびたと記されている。
マサダ陥落によってユダヤ戦争は一旦は終結した(後に第二次ユダヤ戦争が発生する)。陥落後のマサダはローマ軍により徹底破壊され、長い間その所在が分からなくなっていたが、1838年にドイツ人考古学者によって所在が確認された。
マサダは現代ユダヤ人にとり、民族の聖地となっている。イスラエル国防軍将校団の入隊宣誓式はマサダで行われ、士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和し、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓う。
ヨセフスの問題とは、「集団自決するある人数の者が円形に並び、数えてX番目の者が仲間に殺してもらい、最後の1人は自殺する。最後の1人になるには何番目に並べばよいか」という問題。ヨセフスとはユダヤ戦争時の指揮官で、当時は実際に似た方法が取られ、兵士はまず自分の妻子を殺してから一箇所に集まり、仲間を殺す役をくじ引きで選んだという。遺跡からは、そのために使われたといわれる名前を書いたくじが出土している。
2001年にユネスコの世界遺産に登録された[3]。現代では観光地となっており、麓からのロープウェイが整備されている。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
要塞跡へはロープウェイのマサダ索道を利用する。所要時間は約3分である。
テレビミニシリーズ『炎の砦マサダ』(Masada)がユニバーサル・テレビジョンにより制作され、1981年4月5日 - 4月8日にABCネットワークで放送された。全4話。1970年に発表されたアーネスト・K・ガンの同名小説を原作とし、73年のユダヤ戦争および集団自決を描いた。
同年のプライムタイム・エミー賞において、デビッド・ワーナーがリミテッドシリーズ/テレビ映画部門の最優秀助演男優賞を、ジェリー・ゴールドスミスが最優秀作曲賞リミテッド・シリーズ/テレビ映画/スペシャル部門をそれぞれ受賞した。
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