マキシム・シャピロ(Максим Шапиро, 1885年1月1日 - 1958年7月19日)はロシア出身のピアニスト、ピアノ教師[2]。1927年から1939年まで日本で活動した白系ロシア人である[3]。
経歴
サラトフに生まれ、モスクワでコンスタンチン・シャピロとともに育つ。モスクワ音楽院でニコライ・メトネルにピアノを師事した。1917年のロシア革命後、ドイツに亡命[4]。ベルリンでピアノを指導したリディヤ・チェルネツカヤは後にコンスタンチン・シャピロの妻となった[5]。マキシムはチェリストのJane Eddyを妻とした[6]。
ハルビンを経て、コンスタンチンとともに1927年に日本に移住。1930年にリディア・シャピロとともに映画『藤原義江のふるさと』にピアノ伴奏者として出演した。1933年に大阪音楽学校(現在の大阪音楽大学)特別専門科ピアノ科教授に就任[7]。教え子に属澄江、甲斐美和子、小園登史子[8]がいる。
1939年に教え子の甲斐美和子とともにアメリカ合衆国に渡った[4][9]。1958年にカーメル・バッハ・フェスティバルに出演した際のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲ピアノ協奏曲第26番『戴冠式』演奏中に心臓発作で倒れ、病院搬送中に亡くなった[10][6]。本人の希望により遺灰が日本にまかれた[6]。
親族
- 従兄弟にチェリストのコンスタンチン・シャピロがいる[4]。
- コンスタンチンの四男に、米国の弁護士アイザック・シャピロ(en:Isaac Shapiro)がいる。 アイザックは1931年に東京で生まれ、ハルビンで育ち、横浜のセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジで学んだのち、1946年に渡米。『昇った太陽・日本―日米転換期論』『Edokko: Growing Up A Foreigner In Wartime Japan』などの著書がある。[11]
脚注
参考文献
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