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マエストラーレ級駆逐艦(マエストラーレきゅうくちくかんCacciatorpediniere Classe Maestrale、Maestrale Class Destroyer)は、イタリア王立海軍の駆逐艦。4隻が建造された。艦名は全て風に由来しており、これによりヴェンティ級駆逐艦(Classe Venti)とも呼ばれる。
マエストラーレ級駆逐艦 | ||
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艦級概観 | ||
艦種 | 駆逐艦 | |
就役開始 | 1934年 | |
退役完了 | 1964年(グレカーレ) | |
前級 | ダルド級駆逐艦 第二グループ | |
次級 | アルフレード・オリアーニ級駆逐艦 | |
性能諸元 | ||
排水量 | 基準排水量 | 1,417トン |
常備排水量 | 2,025トン | |
満載排水量 | 2,235トン | |
全長 | 106.7m | |
全幅 | 10.3m | |
吃水 | 4.1m | |
機関 | ギアードタービン3缶2基 2軸推進 | 45,000hp |
速力 | 38ノット | |
航続距離 | 4,000海里(12ノット) | |
乗員 | 168人 | |
兵装 | 120mm連装砲 | 2基4門 |
40mm機関砲 | 2門 | |
13mm機銃 | 6基 | |
3連装533mm魚雷発射管 | 2基 | |
爆雷または機雷 | 56発 | |
表記 | ||
日本語 | マエストラーレ級駆逐艦 | |
ヴェンティ級駆逐艦 | ||
イタリア語 | Cacciatorpediniere Classe Maestrale | |
Cacciatorpediniere Classe Venti | ||
英語 | Maestrale Class Destroyer | |
Venti Classe Destroyer |
復原性が不足していたダルド級駆逐艦の改良型であり、船体が一回り拡大されている。排水量も増した一方で出力は強化されてないが、前級に比べ船体が約10m延長されたことにより高速力は維持されていた[1]。また、主砲は新型である「OTO社製 50口径 Model1931 12cm連装砲」を搭載しており、軽量化が施されたが強度は低下していた[2]。
各部の余裕が生まれるなどした為、その基本設計は後のアルフレード・オリアーニ級、ソルダティ級へと受け継がれた[1][2]。
竣工後は防空能力を強化するため、40mm及び13.2mm機銃を撤去し20mm単装機銃6門へと換装を行った[2]。第二次世界大戦中においてはマエストラーレがレーダー未装備を補うために装備していた星弾用の15口径12cm榴弾砲を撤去して、「アンサルド社製 50口径 12cm単装砲」と換装した。他にも対空砲増備としてグレカーレとマエストラーレが後部魚雷発射管を撤去して37mm単装機関砲を2門装備し、20mm機銃も単装・連装合わせて12門程度を装備した[2]。
イタリアが第二次世界大戦に参加した際においては第10駆逐艦戦隊を編成しており、軽巡洋艦「バルトロメオ・コレオーニ」、「ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ」2隻からなる第2戦隊に付属してシチリア島に居た。カラブリア沖海戦、マタパン岬沖海戦等主力部隊とともに参加していたが、合わせて船団護衛や機雷敷設にも携わった。1940年8月にイギリス駆逐艦「ホスタイル」がボン岬にて触雷して沈没したが、この機雷敷設を行ったのはマエストラーレ級とされる[2]。1941年11月9日に「リベッチオ」がイギリス潜水艦「アップホルダー」の攻撃で、1942年3月23日には「シロッコ」が第2次シルテ湾海戦の後の悪天候で沈没している。1943年1月9日の触雷により修復中の「マエストラーレ」は、連合軍との停戦成立により1943年9月9日にジェノヴァで自沈した。
「グレカーレ」は大戦を生き延び2度の近代化改装が施された。その後1960年には指揮艦として改装されたが、1964年に退役している。
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