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ポルトガル領黄金海岸

かつてアフリカに存在したポルトガルの植民地 ウィキペディアから

ポルトガル領黄金海岸
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ポルトガル領黄金海岸(ポルトガルりょうおうごんかいがん)は、西アフリカギニア湾黄金海岸(現在のガーナ)にあったポルトガルの植民地である。15世紀から金交易・奴隷交易で栄えた。17世紀にオランダによって征服された。

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ポルトガル領黄金海岸
Costa do Ouro (ポルトガル語)
1482年 - 1642年 オランダ領黄金海岸
Thumb 黄金海岸の国章
ポルトガルの国旗 ポルトガルの国章
Thumb
16世紀後半の象牙海岸(左半分)と黄金海岸(右半分)
中央のスリーポインツ岬の右に描かれている「La Mina」がエルミナ
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歴史

ポルトガルは1482年1月21日から黄金海岸に次の拠点を設立した。

1637年8月29日、オランダがエルミナを占領した。 1642年1月9日、植民地全体がオランダ領に割譲され、オランダ領黄金海岸の一部となった[1]

カピタン・モール

黄金海岸は小規模な植民地だったため、総督副王でなくカピタン・モールが治めた。

初代ディオゴ・デ・アザンブージャ英語版ジョアン2世の王命を受けて艦隊を率いて黄金海岸に赴き、サン・ジョルジュ砦を築くと、艦隊を本国に帰還させて自身は指揮官として現地に留まった[2]

歴代カピタン・モール(一部)

  • 1482年 – 1485年:ディオゴ・デ・アザンブージャ(初代)
  • 1485年 –1486年:アルバロ・ヴァズ・ペスターノ
  • 1495 年– 1499年:ロポ・ソアレス・デ・アルベルガリア
  • 1499年(?) – 1503年(?):フェルナン・ロペス・コレイア
  • 1503年(?) – 1506年(?):ディオゴ・ロペス・デ・セケイラ
  • 1519年 – 1522年:ドゥアルテ・パチェコ・ペレイラ
  • 1522年 –1524年:アフォンソ・デ・アルブケルケ
  • 1524年 –1525年:ジョアン・デ・バロス[3]:26
  • 1526年 –1529年:ジョアン・ヴァズ・デ・アルマダ
  • 1529年 –1532年:エステバン・ダ・ガマ
  • 1536年 –1537年:マヌエル・デ・アルブケルケ
  • 1632年 – 1634年:ペドロ・マスカレーニャス
  • 1634年 – 1634年:ドゥアルテ・ボルヘス(代理)
  • 1634年 – 1642年:アンドレー・ダ・ローシャ・マガリャエス(代理)
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脚注

外部リンク

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