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モリッシーのコンピレーション・アルバム ウィキペディアから
『ボナ・ドラッグ』(Bona Drag)は、モリッシーが1990年に発表したコンピレーション・アルバム。ソロ・アルバムとしては通算2作目に当たる。
『ボナ・ドラッグ』 | ||||
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モリッシー の コンピレーション・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1988年 - 1990年 | |||
ジャンル | オルタナティヴ・ロック、インディー・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル |
HMV サイアー・レコード/リプリーズ・レコード | |||
プロデュース |
クライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンリー(on #1, #3, #7, #10, #11)[1] スティーヴン・ストリート(on #2, #4, #5, #6, #8, #9, #12, #13, #14)[1] | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
モリッシー アルバム 年表 | ||||
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モリッシーはソロ・デビュー作『ビバ・ヘイト』(1988年)制作後、ギタリストのヴィニ・ライリーを解雇し、その後一時的に、ザ・スミス時代の盟友クレイグ・ギャノン、アンディ・ルーク、マイク・ジョイスを迎え入れた[5]。最終的には、ギャノンとジョイスはシングル「ラスト・オブ・ザ・フェイマス・インターナショナル・プレイボーイ」(1989年2月発売)と「インテレスティング・ドラッグ」(1989年4月発売)のみの参加となるが、ルークはその後も、ソングライティングやレコーディングに貢献した[6]。そして、本作は当初予定されていた「2作目のスタジオ・アルバム」ではなく、シングルA面/B面曲を集めた作品として発売され[5]、収録曲のうち「エヴリデイ・イズ・ライク・サンデー」と「スエードヘッド」は『ビバ・ヘイト』にも収録されていた[7]。ただし、「ピカデリー・パラーレ」のみ新曲で[8]、マッドネスのボーカリストであるサッグスがゲスト参加した[9]。
一部の曲をプロデュースしたクライヴ・ランガーとアラン・ウィンスタンリーのコンビは、次作『キル・アンクル』(1991年)も引き続き手がけた[5]。
先行シングル「ピカデリー・パラーレ」は全英シングルチャートで18位に達し、ソロ転向後としては7作目の全英トップ20シングルとなった[10]。続いて発売された本作は、全英アルバムチャートで9位を記録した[2]。アメリカでは16週Billboard 200入りし、最高59位を記録して[4]、リリースから約10年後の2000年6月には、RIAAによりゴールドディスクの認定を受けた[11]。
Stephen Thomas Erlewineはオールミュージックにおいて5点満点中4.5点を付け「多くの曲がモリッシーを代表する名曲で、『ビバ・ヘイト』以上に首尾一貫した、そして楽しめるレコード」と評している[7]。
特記なき楽曲はモリッシーとスティーヴン・ストリートの共作。
いずれも未発表音源である[8]。
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