ベサメ・ムーチョ

コンスエロ・ベラスケス作曲の楽曲 ウィキペディアから

ベサメ・ムーチョ」(Bésame Muchoスペイン語: [ˈbesame ˈmutʃo])は、1940年にコンスエロ・ベラスケスによって作曲された楽曲である。1941年に発表され、サニー・スカイラー英語版による英語詞が付けられた[2]ビートルズザ・ベンチャーズルイス・ミゲルダイアナ・クラールなど多数のアーティストによってカバーされており、最もカバーされたスペイン語の楽曲の1つとされている[3]。 タイトルのベサメ・ムーチョとは、日本語訳すると“たくさんキスして”となる。

概要 「ベサメ・ムーチョ」, コンスエロ・ベラスケスの楽曲 ...
ベサメ・ムーチョ
コンスエロ・ベラスケス楽曲
発祥1940年
ジャンルラテン[1]
作詞者コンスエロ・ベラスケス
作曲者コンスエロ・ベラスケス
言語スペイン語
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背景

1940年、コンスエロ・ベラスケスは「ベサメ・ムーチョ」を作曲[4]。歌詞は、もっとキスをして。今夜が2人にとって最後の夜だと思って。もっと近くにきて。明日になったら遠く離れてしまうからという求愛の歌となっているが[1]、作曲当時のベラスケスにはキスの経験がなかった[5]。歌詞は、戦後に別居を余儀なくされたカップルの悲嘆と苦悩に触発されたもの[6]。メロディは、作曲家のエンリケ・グラナドスが手がけた1916年のオペラ『ゴイェスカス』のアリア「嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす」がもとになっている[7]

1941年にサニー・スカイラー英語版によって英語詞が付けられた[2]。英語のタイトルについては「Kiss Me Much[8]や「Kiss Me a Lot[9]など複数存在する。

レコーディング

要約
視点

ジミー・ドーシー楽団による演奏

概要 「ベサメ・ムーチョ」, リリース ...
ベサメ・ムーチョ
ジミー・ドーシー楽団英語版楽曲
リリース1943年12月
規格7インチシングル
A面マイ・アイデアル
ジャンルポップ[7]
時間2分59秒
レーベルデッカ・レコード
作詞者サニー・スカイラー
作曲者コンスエロ・ベラスケス
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ジミー・ドーシー楽団英語版は、1943年にキティ・カレン英語版ボブ・エバリー英語版ボーカルに迎えて「ベサメ・ムーチョ」をカバー[10]。これは、本作のレコーディングが行なわれた初の例の1つとされている[11]。エバリーは曲の前半のボーカルを務め、カレンが後半のボーカルを務めている[12]

ジミー・ドーシー楽団による「ベサメ・ムーチョ」は、1943年12月にシングル盤『マイ・アイデアル』のB面曲として発売され[13]、1944年にアメリカのチャートで第1位を獲得した[14]

ビートルズによる演奏

概要 「ベサメ・ムーチョ」, ビートルズの楽曲 ...
ベサメ・ムーチョ
ビートルズ楽曲
収録アルバムザ・ビートルズ・アンソロジー1
リリース1995年11月20日
録音
ジャンルロック
時間2分36秒
レーベルアップル・レコード
作曲者コンスエロ・ベラスケス
プロデュースジョージ・マーティン
ザ・ビートルズ・アンソロジー1 収録曲
スピーチ:ブライアン・エプスタイン
(DISC 1-20)
ベサメ・ムーチョ
(DISC 1-21)
ラヴ・ミー・ドゥ
(DISC 1-22)
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ビートルズは、1962年1月1日にデッカ・レコードのオーディションを受けた。このオーディションで、ビートルズはブライアン・エプスタインによって選曲された15曲を演奏しており、「ベサメ・ムーチョ」はそのうちの1曲だった[15]。オーディションは、デッカ・レコードのA&Rの責任者であるディック・ロウ英語版によって不合格とされた[16]

デッカ・レコードのオーディションから5か月後の6月6日、ビートルズはEMIレコーディング・スタジオでのパーロフォンのオーディションを受けた[17]。この日はビートルズにとって初のEMIレコーディング・スタジオでのレコーディングであり、テストも兼ねたセッションであった[18]。セッションには、プロデューサーロン・リチャーズ英語版エンジニアノーマン・スミスが立ち会った[18]。ビートルズは、この日のセッションで「ベサメ・ムーチョ」と、自作曲の「ラヴ・ミー・ドゥ」、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」、「アスク・ミー・ホワイ」の計4曲を演奏[19]。当時についてマッカートニーは「当時のレパートリーはかなり馬鹿げていて、ジョージは『シーク・オブ・アラビー英語版』をやって、僕は『ベサメ・ムーチョ』をやっていた」と回想している[20]

1963年のアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のセッションに際して本作も候補とされていたが、ジョージ・マーティンによって拒否された[21]。同年6月11日にはBBCラジオの『Teenager's Turn―Here We Go』用にレコーディングが行なわれ、この日の演奏は同月15日に放送された[22]。1969年のゲット・バック・セッションでも演奏されており、この時の演奏が映画『レット・イット・ビー』に収録されている[23]

1962年6月6日に録音されたテイクは、1984年にジェフ・エメリックによってアルバム『セッションズ英語版』用にリミックスや編集が行なわれたが[24]、しかし、このアルバムはハリスンとマッカートニーが「作品の質」を批判する宣誓供述書を提出したことにより発売中止となった[25][26][27]。エメリックによって手が加えられた音源は、1985年に発売された海賊盤Ultra Rare Trax, Volume One』に収録された[24]。1994年にジョージ・マーティンによってリミックスされ、翌年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に同じく6月6日に録音された「ラヴ・ミー・ドゥ」とともに収録された[24]

クレジット

※出典[28]

その他の主な演奏例

Thumb
アメリカで発売されたアンディ・ラッセル英語版のシングル盤。

「ベサメ・ムーチョ」は、1941年に発表されたエミリオ・トゥエロ英語版によるカバー・バージョンが初めてレコーディングされた例とされている[6]。同年にペドロ・バルガス英語版によってレコーディングされた演奏が、RCAビクターから発売された[8]。2001年にラテン・グラミーの殿堂入りを果たした[29]

1944年にアンディ・ラッセル英語版がカバー。アメリカのチャートでは最高位8位を記録[30]

1959年に藤沢嵐子が『第10回NHK紅白歌合戦』で歌唱[31]

1983年にプラシド・ドミンゴがカバー[32]第26回グラミー賞で最優秀ポップ・パフォーマンス賞にノミネートした[33]

1983年に研ナオコがアルバム『Naoko Mistone[34]にて、秋元康の訳詞よるカバー・バージョン「初恋 Based on "BESAME MUCHO"」として収録されている。

2012年にソエ英語版によるカバー・バージョンが、ラテン・グラミー賞にノミネートした[35]

脚注

参考文献

外部リンク

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