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ヘルフタのゲルトルード(Gertrud von Helfta, 1256年1月6日 - 1301/1302年)あるいは大ゲルトルートは[1]、ドイツの神秘家、ベネディクト会の修道女で、人間に対して神の愛が無限かつ無償で注がれることを説いた『神の愛の使者』[2]とラテン語の祈祷集である『霊的修行』[2]を記したことで知られる。
両親や出身地については不明である[3]。1261年にザクセン州のアイスレーベン近郊にあるヘルフタ修道院附属学校に預けられる[3]。幼少期から勉学に長け、特にラテン語を得意とした[4]。幼少期はアレクサンドリアのカタリナや聖アグネスに傾倒する[5]。1280年の待機節から翌年2月2日まで、精神的な問題に見舞われる[4]。同年1月27日に神秘体験である聖籠の幻視を経て、霊的生活を開始し、神学を学ぶ[4]。神学ではアウグスティヌス、大グレゴリウス、クレルヴォーのベルナルドゥス、サン・ヴィクトルのフーゴーについて学ぶ[6]。ゲルトルードはマクデブルクのメヒティルト、ハッケボルンのゲルトルード、ハッケボルンのメヒティルトらからも影響を受ける[7]。生涯ではそのラテン語を活かして多くの著作を執筆したものの、2002年時点で残っているのは『神の愛の使者』と『霊的修行』に限られる[2]。没年については1301年か1302年の11月17日と考えられている[8]。
1536年にケルンのカルトゥジア会士であるヨハネス・ランツベルグによって『神の愛の使者』のラテン語版が出版される[8]。1674年にベネディクト会全体でゲルトルードの祝日を祝うことの許可が下り、独自の聖務と讃歌で祝われるようになる[8]。1678年にゲルトルードは『ローマ聖人録』に記載され、1783年に全ての教会でゲルトルードへの礼拝が許された[8]。
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